こんにちは京子です!

今回ご紹介する神社は・・・

天道神社

天道神社(てんどうじんじゃ)です


起源は古く

かつて長岡京(山城国)に鎮座していた神社で

平安京の遷都の際に

京の都へと勧請されたと言われています。


天道神社石碑

長らくの間、山城国の村々を守ってきた天道神社が

平安京へと移される際は

大勢の村人や家畜の牛までもが

沿道に並び、送り出したと言われているんですね


平安神宮

どうしてそこまで信仰が篤いのか??

と言いますと

長岡京に都があった792年

村に疫病が流行り、家畜の牛がバタバタと倒れたそうです。

牛が全滅してしまえば、農作業が出来ないワケですから

廃村の危機であったと言えるでしょう


そこで村の人達は、牛を救う為

連日、天道神社に祈願したそうです。

すると見事に家畜の牛は1頭も死ぬ事なく全て助かり

廃村の危機を免れたんですね!


こうした事から、平安京へ勧請される際は

村人や牛までもが沿道に並び、見送ったそうですよ


拝殿

拝殿になります。祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)、八幡大神(はちまんおおかみ)、春日大神(かすがおおかみ)の三柱を祀っています。


洛陽二十五社天道天満宮

拝殿左側にある『洛陽二十五社天道天満宮』です。祭神はもちろん、菅原道真です。天満宮と道真の関係は北野天満宮 その2の記事をご覧下さい。


昭憲皇太后の御胞衣

境内には、明治天皇の皇后『昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)』の御胞衣(えな・胎盤)を埋めた塚もあります。胎盤を埋めれば、無事に育つという習慣のもと、父親の一条忠香(いちじょうただか・公卿)が、この地に埋めたそうです。


こうして平安京の遷都と同時に

京の都にやって来た天道神社は

国家の安泰を願い、御所の付近(東洞院御池上ル)に勧請されました。


その頃の境内は、一町四方(いっちょうしほう・およそ109㎡)の

広さがあったと言われ

伝承によれば、広々とした境内に様々な草木が植えられ

四季折々の風情が楽しめたようです


皇族の側近達がしばしば訪れ、天道神社の境内で

宴を行っていたとも言われているんですよ。


昭憲皇太后の御胞衣

境内右手には稲荷社もありました。中央にあるのが『約束稲荷神社』そして左は『八坂社』です。


厳島社

入り口脇にある厳島社です。祭神には、弁財天と同一視されている市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)が祀られています。


しかし、その後は

応仁の乱などで度々、兵火に見舞われ

荒廃していったようです。


現在、社殿は壬生寺の近くに構えていますが

この地は織田信長より拝領したと言われ

改めてそこに祠を建て

社殿が壮健され、現在に至るというワケです


そんな天道神社の場所はコチラ↓


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