2013-02-12 | |
テーマ:神社 |
関連:お千度詣り・弓講(走田神社) / |
走田神社
こんにちは京子です!
今回ご紹介するのは・・・
走田神社(はしりだじんじゃ)です
※亀岡市にも同名の神社がありますが、今回ご紹介するのは、京都府長岡京市にある走田神社です。
走田というのは
『初穂(または走り穂)を作る田んぼ』を意味する言葉であり
こちらの神社は
早稲(わせ・成熟の早い稲)の守護神として
崇拝されていたようです
ちなみに、この地で収穫された初穂は
宮中行事である神嘗祭(かんなめさい・新嘗祭に先立って行われる収穫祭)にも
献上されていたと言われているんですよ
鳥居をくぐり
長い石段の途中には・・・
12個の榊の束がくくりつけられた
『勧請縄(かんじょうなわ)』が飾り付けられています。
この榊は、1月~12月を表すもので
「その月の米が、良い値で売れるように」という願いが込められたもので
毎年1月に、地元の方によって作られます。
※1月13日に行われる『お千度詣』や『弓講(ゆみこう・的を射て豊作を祈願する神事)』に合わせて新しい勧請縄が取り付けられるそうですよ。
石段を登ると
舞殿、そして奥に拝殿が一直線上に並んでいて
祭神には
藤原氏の氏神である『春日神(かすがしん・春日四神)』が祀られています
・天津兒屋根命(あめのこやねのみこと)
・武甕槌神(たけみかづちのかみ)
・経津主神(ふつぬしのかみ)
・姫大神(ひめのおおかみ)
走田神社の創建は古く
927年に編纂された『延喜式(えんぎしき)』の神名帳に
その名が記されている事から
平安時代にはすでにあったようですね
※延喜式とは平安時代に、藤原時平らが中心となって作られた(律令の)施行細則です。
こちらが拝殿になります。
ちなみに、明治期までは
妙見菩薩(みょうけんぼさつ)が合祀されていた事から
『妙見社』と呼ばれていました
その理由をご説明すると・・・
平安時代初期、この辺りに
大寺院の建立を考えていた嵯峨天皇は
空海の高弟で知られる『道雄(どうゆう)』に勅命を出しました。
その際、道雄は
夢の中で啓示を受けて
この地の『山の神』という『妙見菩薩』を
走田神社に合祀したんですね。
こうした事から、明治期の神仏分離令が出るまでは
妙見社と呼ばれていたんですね
※この時、大寺院として建立された『海印寺』は、応仁の乱によって焼失しました。現在は、塔頭であった寂照院を残すのみとなっています。ちなみに妙見菩薩は、この寂照院に安置されています。
当時、山の神は
春になると山を降りて、田んぼに降臨し
『田の神』になると考えられていたようで
こうした事から
走田神社が、早稲の守護神として
崇拝されているという事なんでしょうね
そんな走田神社の場所はコチラ↓
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