メモ2012-09-05
テーマ:京都検定

京都検定過去問 その89

こんにちは京子です!

今回も京都検定の過去問をお届けします。

写真と解説付きですので、是非挑戦してみて下さいね。

では1問目にいってみましょう


【問題】

葵祭について】

昭和31年(1956)に(   )を中心とした女人列が加えられた。

ア.斎王代(さいおうだい)

イ.勅使(ちょくし)

ウ.内侍(ないし)

エ.命婦(みょうぶ)

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

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・・・

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では、答えですっ。


【答え】

斎王代

ア.斎王代

葵祭の主役の1人とも言える『斎王代』は

『斎王』の代わりという意味です。

※斎王とは、葵祭で天皇の代わりに神様にお仕えする女性を指します


平安時代から斎王には

未婚の皇族女性(内親王)が選ばれていました

以後、斎王を中心とする『女人列』が無くなった時期もありましたけれど

昭和31年から、斎王の代わりに

一般人から毎年『斎王代』が選ばれるようになり

斎王代を含む女人列が見事復活したんですね

葵祭に関しては葵祭 2012(上賀茂神社下鴨神社)、葵祭 2011(賀茂祭)、葵祭 2010(賀茂祭)の記事をご覧下さい。


では2問目です!


【問題】

祇園祭

【祇園祭について】

貞観11年(869)、疫病流行の際に当時の国数に倣って鉾を(   )本たて、神事を行ったことが始まりとされている。

ア.36

イ.46

ウ.56

エ.66

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

・・・

・・・

・・

では、答えですっ。


【答え】

エ.66

869年、都に疫病が流行った際に

牛頭天皇(ごずてんのう・釈迦が説法をしたインドの祇園清舎の守護神)の

祟りが原因だと考えられました

その怒りを鎮める為に、祇園社(現在の八坂神社)にて

御霊会(ごりょうえ)を行い

鉾を66本立て、御輿と共に練り歩き

疫病退散させた事が祇園祭の起源となっているんですね


当初、御霊会は疫病が流行った時だけ行われていましたが

970年より毎年行われるようになったそうですよ

※祇園祭に関しては、祇園祭 2012 山鉾巡行(四条堺町・四条麩屋町・新町御池)などの記事をご覧下さい。


では3問目です!


【問題】

清凉寺

清凉寺の本尊(   )(国宝)は、奝然(ちょうねん)が宋で模刻させ、日本に持ち帰ったもので、胎内に絹の五臓六腑が入っていたことで知られる。

ア.釈迦如来立像

イ.不動明王立像

ウ.薬師如来立像

エ.阿弥陀如来立像

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

・・・

・・・

・・

では、答えですっ。


【答え】

ア.釈迦如来立像

釈迦如来立像を日本に持ち帰った奝然でしたけれど

清凉寺の建立半ばで没してしまいました。


しかし

彼の弟子である盛算(じょうさん)が

その意思を継いで、見事にお堂は完成し

釈迦如来立像が安置される事となったんですね

※詳しくは嵯峨釈迦堂(清凉寺)の記事をご覧下さい。


では最後の問題です。

1級からの出題になりますので選択問題ではありません。

ズバリでお答えください。


【問題】

式庖丁

貴船神社の水まつりでは、神事の後、献茶式や舞楽奉納、(   )流の式庖丁が披露される。

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

・・・

・・・

・・

では、答えですっ。


【答え】

生間(いかま)

式庖丁とは

宮中の祝いの席で披露されたのが始まりと言われていて

まな板に乗った魚に手を触れず

綺麗にさばいて盛り付けるというものです

鎌倉時代以降、絵画でもその様子が伝えられていているんですね。


生間流は

料理の神様として知られる『藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)』が創始者の

四条流庖丁道(しじょうりゅうほうちょうどう)から

分かれた流派の1つだそうです。


彼らは貴船神社以外にも

山蔭神社でも奉納しているんですよ

詳しくは水まつり 2012(貴船神社)や 例祭 2012(山蔭神社)の

記事をご覧下さい。


という事で本日も4問出題させていただきました。

皆さん何問正解されましたか?



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