こんにちは京子です!
今回も京都検定の過去問をお届けします。
写真と解説付きですので、是非挑戦してみて下さいね。
では1問目にいってみましょう
【問題】
【葵祭について】
昭和31年(1956)に( )を中心とした女人列が加えられた。
ア.斎王代(さいおうだい)
イ.勅使(ちょくし)
ウ.内侍(ないし)
エ.命婦(みょうぶ)
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では、答えですっ。
【答え】
ア.斎王代
葵祭の主役の1人とも言える『斎王代』は
『斎王』の代わりという意味です。
※斎王とは、葵祭で天皇の代わりに神様にお仕えする女性を指します
平安時代から斎王には
未婚の皇族女性(内親王)が選ばれていました
以後、斎王を中心とする『女人列』が無くなった時期もありましたけれど
昭和31年から、斎王の代わりに
一般人から毎年『斎王代』が選ばれるようになり
斎王代を含む女人列が見事復活したんですね
※葵祭に関しては葵祭 2012(上賀茂神社・下鴨神社)、葵祭 2011(賀茂祭)、葵祭 2010(賀茂祭)の記事をご覧下さい。
では2問目です!
【問題】
【祇園祭について】
貞観11年(869)、疫病流行の際に当時の国数に倣って鉾を( )本たて、神事を行ったことが始まりとされている。
ア.36
イ.46
ウ.56
エ.66
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では、答えですっ。
【答え】
エ.66
869年、都に疫病が流行った際に
牛頭天皇(ごずてんのう・釈迦が説法をしたインドの祇園清舎の守護神)の
祟りが原因だと考えられました
その怒りを鎮める為に、祇園社(現在の八坂神社)にて
御霊会(ごりょうえ)を行い
鉾を66本立て、御輿と共に練り歩き
疫病退散させた事が祇園祭の起源となっているんですね
当初、御霊会は疫病が流行った時だけ行われていましたが
970年より毎年行われるようになったそうですよ
※祇園祭に関しては、祇園祭 2012 山鉾巡行(四条堺町・四条麩屋町・新町御池)などの記事をご覧下さい。
では3問目です!
【問題】
清凉寺の本尊( )(国宝)は、奝然(ちょうねん)が宋で模刻させ、日本に持ち帰ったもので、胎内に絹の五臓六腑が入っていたことで知られる。
ア.釈迦如来立像
イ.不動明王立像
ウ.薬師如来立像
エ.阿弥陀如来立像
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では、答えですっ。
【答え】
ア.釈迦如来立像
釈迦如来立像を日本に持ち帰った奝然でしたけれど
清凉寺の建立半ばで没してしまいました。
しかし
彼の弟子である盛算(じょうさん)が
その意思を継いで、見事にお堂は完成し
釈迦如来立像が安置される事となったんですね
※詳しくは嵯峨釈迦堂(清凉寺)の記事をご覧下さい。
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので選択問題ではありません。
ズバリでお答えください。
【問題】
貴船神社の水まつりでは、神事の後、献茶式や舞楽奉納、( )流の式庖丁が披露される。
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では、答えですっ。
【答え】
生間(いかま)
式庖丁とは
宮中の祝いの席で披露されたのが始まりと言われていて
まな板に乗った魚に手を触れず
綺麗にさばいて盛り付けるというものです
鎌倉時代以降、絵画でもその様子が伝えられていているんですね。
生間流は
料理の神様として知られる『藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)』が創始者の
四条流庖丁道(しじょうりゅうほうちょうどう)から
分かれた流派の1つだそうです。
彼らは貴船神社以外にも
山蔭神社でも奉納しているんですよ
詳しくは水まつり 2012(貴船神社)や 例祭 2012(山蔭神社)の
記事をご覧下さい。
という事で本日も4問出題させていただきました。
皆さん何問正解されましたか?