2012-05-21 | |
テーマ:お寺 |
関連:高桐院 / 総見院 / 大徳寺 / 瑞峯院 / 龍源院 / 聚光院 / |
興臨院
こんにちは京子です。
今日ご紹介するのは現在、春の特別公開されている
興臨院(こうりんいん)です。
興臨院は何処にあるのかと言いますと
京都市北区紫野(むらさきの)の
大徳寺(だいとくじ)の境内にあります。
大徳寺は広く境内に22の塔頭が存在していて
興臨院もその中の1つなのです
では中に入って行きましょう。
こちらは表門で重要文化財に指定されています。
興臨院の古門と呼ばれ
大徳寺内でも有数の古い門みたいですよ。
こちらが唐門で唐破風の桧皮葺。
室町時代の特徴を良く表していて
波型の連子窓(れんじまど)を有しています
連子窓というのは、細長い木を
縦、もしくは横に並べて窓にしたもののことです。
写真ではわかりにくいかもしれませんけれど
ちょうど扉の上あたりに波型の木が
何本も見えませんか?そう!それが連子窓なんだそうです!
ここで興臨院について少しお話したいと思います。
興臨院は、1520年代(太永年中)に
能登の守護であった畠山義総(はたけやまよしふさ)が
建立したお寺で、それ以後、畠山家の菩提寺になったそうです。
お寺の名前も畠山義総の
法号『興臨院殿伝翁徳胤大居士』から取られています
こちらが入り口です。
畠山氏と言えば三管領(さんかんれい)ですよね
三管領とは、細川氏、斯波氏、畠山氏の事を言い
この3つの家から、室町幕府の要職である
管領が輩出されていたんですね。
管領は、将軍を補佐する重要なポストなんですよ
畠山義総は戦国時代の武将で
能登の畠山氏の全盛を築いた人なんです
そんな彼が建立したお寺ですけれど
なんと創建直後に消失
そして畠山家も没落してしまいます。
しかしその後、前田利家(まえだとしいえ)によって
方丈の屋根等が修復され
以後、前田家の菩提寺となりました。
前田利家といえば、加賀百万石の礎を築いた
槍の名手として謳われる人です。
※前田利家について詳しくは来迎院(東山)の記事をご覧下さい。
こちらは方丈前の枯山水のお庭です。
枯山水とは水を一切使わずに
あたかも水が流れているかのように
造られたお庭の事です
ちなみに写真の山みたいに見えているのは
中国の蓬莱山(ほうらいさん)をイメージしているみたいです。
このお庭は昭和の小堀遠州(こぼりえんしゅう)と言われた
中根金作(なかねきんさく)が作庭したそうです
こちらは方丈です。
方丈は、禅宗のお寺特有の造りで、部屋が6つに分かれています。
真ん中のお部屋を室中の間(しっちゅうのま)といい
こちらにご本尊が安置されているわけですね
通常、真ん中にご本尊が安置されますけれど
大徳寺は開山のお坊さんをとても大事にされる事から
真ん中に小渓紹怤(しょうけいじょうふ(仏智大通(ぶっちだいつう))和尚が安置されています。
ご本尊である釈迦如来は、その左側に安置されています
さらに左側に、前田家、畠山家の位牌もありましたよ。
一際大きかったのが前田利家のご位牌でした。
室内はそれぞれ撮影禁止でしたので
ぜひとも特別公開の期間中に見に行かれてはどうでしょうか
こちらは爪塚(つめづか)になります。
そして、琴心塔(ことしんとう)です。
前住職さんの奥さんが琴の先生であったこともあって
古くなった琴で使う爪や、お琴奏者のご粉骨を
埋葬してご供養されていたそうです。
ちなみに、大徳寺は別名、茶面と呼ばれ
大徳寺の塔頭全てのお寺にお茶室があるんですね。
その数なんと47
もちろんこの興臨院にも茶室がありまして
涵虚亭(かんきょてい)と言います。
現在は使われていないみたいですけれども
涵虚亭には入り口が2つあって
利休好みの躙口(にじりぐち)と
古田織部(ふるたおりべ)が考えた
貴人口(きにんぐち)です。
躙口は、頭を下げなければ
中に入ることが出来ないというものです
一方、貴人口は、身分の高い人などが
躙らずに入ることの出来る入り口です
内部は少し変わっていて
躙口を入ったすぐ右側が床の間となっていて
中が洞窟のように見えるそうですよ♪
ということで、今回は特別公開が行われている
興臨院をご紹介しました!普段は非公開の寺院ですので
この機会に是非訪れてみてくださいね。
興臨院の場所はコチラ↓
大きな地図で見る
最寄の交通案内
雑談掲示板 新着