2011-04-20 | |
テーマ:その他 |
関連:北野天満宮 その2 / |
清水寺の桜
こんにちは京子です。
さて、本日は世界遺産のお寺っ!
清水寺(きよみずでら)です。
もう花見シーズンも終わっちゃいましたけれど
期間中に、ばっちり桜を撮り貯めていましたので
以前に京子ブログでご紹介した清水寺の写真とミックスして
今回、清水寺の桜をご覧頂きたいと思います~
この辺りのお花見コースは円山公園(まるやまこうえん)を通り
高台寺(こうだいじ)側の、ねねの道を抜け、二年坂、産寧坂(三年坂)を
登って清水寺へ行く方が多く修学旅行などでも、この辺りを
通った方はいらっしゃるんじゃないでしょうか??
毎年、花見のシーズンに併せてライトアップされていますよ♪
そして、この清水寺は世界遺産に認定されている事でも有名ですよね。
清水寺の始まりはと言うと
778年、延鎮(えんちん)というお坊さんが
この地に草庵を結んだ事がきっかけとなります。
その2年後、武官である坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が
奥さんの病気の薬になる鹿の生き血を求め鹿狩りに出かけた時
延鎮に殺生を戒められ
これに感銘を受けた坂上田村麻呂が自宅を本堂として寄進します。
更に798年には坂上田村麻呂と延鎮により本堂を改築し、清水寺は本格的なスタートをする事となりました。
こちらは坂上田村麻呂夫妻の像が眠る田村堂です。
ちなみに坂上田村麻呂はどんな人物かと言いますと
朝廷より征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命される程の立派な男!!
※坂上田村麻呂に関しては前回の清水寺で詳しく解説していますので、是非併せてご覧下さい♪
では、早速
今回新たに撮影した桜の写真と併せてご覧頂きたいと思います~!!
桜と三重塔です
高さ31メートル、日本最大の三重塔と桜を激写しちゃいました。
こちらは下から見上げる三重塔です。
桜のピンクと、朱色の建物のコントラストがいい感じだと思いませんか
ソメイヨシノを中心に、境内には1000本もの桜が咲いているんですよ。
こちらは、前回の清水寺の時にご紹介出来なかった
弁慶の錫杖(しゃくじょう)と鉄下駄です。
あの、怪力で大男の弁慶が使っていたと言われる
ずっしりと重い鉄の杖と下駄です
清水寺では、実際にここで杖や下駄を触ってみる事が出来るので
参拝客の方でいつもここは賑わっています♪
頑張って鉄の杖を持ち上げようとするんですけど
これが・・・すごく重いんですよね(汗)
皆さん、重い~!重い~!と言われています。
こんな杖を自在に操れるなんて、さすが弁慶は怪力の持ち主っ
源義経を中心に描かれた
軍記物語である「義経記(ぎけいき)」
その中で、この清水寺も登場するんですね。
義経と弁慶の戦いは五條天神宮でまず行われ、弁慶は義経に翻弄され取り逃がし、悔しい思いをします
そこで、翌日の清水寺の縁日に
義経がやって来ると予想した弁慶は
リベンジする為に、待ち伏せをし
再度、義経と一戦交える事となりました
その決戦の場所として描かれているのが、こちらの清水の舞台
結果はと言いますと
弁慶は敗れ、2人は主従の関係となるというワケです~。
清水の舞台の土台はこのようになっています。これが有名な「清水寺の舞台のつくり」です。
ことわざである「清水の舞台から飛び降りる」とは、まさにこの場所。
舞台には、早朝から修学旅行生がギュウギュウに押しかけていました。
ちなみに、この舞台から実際に飛び降りてしまった人がいるそうで
ニュースになった事があるそうです。
もちろん危険なので皆さんはやめましょう!
さて、冒頭でもご説明した坂上田村麻呂。
清水寺にお堂を作った以外にも、こんなものもあります。
阿弖流爲(アテルイ)母礼(モレ)之碑
この阿弖流爲と母礼という人物は
征夷大将軍になった坂上田村麻呂が
蝦夷(現在の東北)へと征伐に行った際に、戦った相手であります。
結果的に、阿弖流爲と母礼は朝廷により
処刑となってしまうんですね。
坂上田村麻呂は、せめてもの弔いと思い、この清水寺に阿弖流爲(アテルイ)母礼(モレ)の碑を建てたのです。
※詳しいエピソードは前回の清水寺にて解説しています♪
という事で!!
毎年3月下旬~4月上旬が見ごろの清水寺の桜。
今年は見逃しちゃった~!という方は、是非来年行かれてみてはいかがでしょうか??
そんな清水寺の場所はコチラ↓
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