2010-07-02 | |
テーマ:お寺 |
関連:六角堂(頂法寺) / 六角堂夜の特別拝観-六角堂といけばな作品ライトアップ-(六角堂) / 六角堂(へそ石餅) / |
六角堂(頂法寺) その2
こんにちは、京子です
いよいよ祇園祭も2日目
今日は、京都市役所で、
「くじ取り式」が2時間にわたって行われたんです。
くじ取り式ってくじ引きの事?
祇園祭と何か関係あるのかな?
はい何をくじで決めるの?といいますと、それは・・・
山鉾巡行の順番なんです!
宵山の翌日である、7月17日に鉾や山、いわゆる山車(ダシ)が京都の町中を練り歩くのです。
この「くじ取り式」が始まったのは1500年。
当時、山鉾の先頭争いが絶えなかった為だそうです。
つまり・・
「俺のを先入れろー!!」
「ちょっとこっちが先やって!!」
「なにゆうとんねん、ワレんとこやろがー!!」
と、たぶんケンカになっていたんでしょうね
という事で、以後はくじ引きで順番を決めるようになったそうです。
全部で32基ある山鉾の中で、
リーダー的存在である、長刀鉾など、あらかじめ順番が決まっている「くじ取らず」の8基を除く
残り、24基の順番を巡ってくじ引きが行われるんです★
このくじ取り式は一般公開もされていて、定員は70名という狭き門
各、山鉾町の代表が羽織袴の正装で京都市役所に集合。野球のドラフト会議のように、ひとりひとりくじを引いて、順番が決定します。巡行の際、先頭は必ず「長刀鉾」でその次に続く鉾はくじとり引きで決められ、その順番を引いた鉾は「山一番」と呼ばれています。
つまーり、毎年「山一番」はくじによって変わるって事なんですね
ここで、京子ニュース速報!!京子ニュース速報!!
はい、先ほど入ってきたニュースによりますと
今年、2010年度の山一番は・・・・孟宗山(もうそうやま)に決まりました~二年ぶり、戦後最多10回目の山一番のようです。
ちなみに、安産の神様とされる神功皇后を祀る「占出山(うらでやま)」という鉾の巡行順が早いとその年のお産は軽い、早い、すぐに出産できるといわれていたりします
占出山は今年ちなみに「くじ取らず」を除くと6番目っ。かなり早いので安産が期待されますね。
よーし。
京子も子供産むなら、今年にしちゃおうかな!!
って・・・今からじゃもう間に合いませんね(汗)
そんなわけで、この「くじ取り式」は祇園祭の大切なイベントのひとつなんですよね。
そのくじ取り式会場、江戸時代にはなんと・・・
六角堂で行われていたそうです♪
という事で
祇園祭で沸きに沸いている京子は、このブログの記念すべき一回目で取り上げたお寺、六角堂(頂法寺)にもう一度スポットをあててみたいと思います
さて、この六角堂の始まりは聖徳太子が四天王寺を建立するための用材を求めてこの地にやって来たとろこから始まります。
ま、聖徳太子も人の子・・・
汚れた身体を洗おうと、衣服を脱いで側に生えてた木にかけたようで
それと一緒に、如意輪観音像をたてかけたところ・・・
ななななーんとその観音像が動かなくなってしまったそうです!
それを見た聖徳太子。お告げを感じたのでしょう。
「よーし、じゃぁここに寺でも作るっぺ!!」
という事で、六角形の堂を建てた事から現在に至るようです
その六角形が特徴的な事から、本来は頂法寺という名前があるにもかかわらず通称、六角堂として広く呼ばれるようになりました
どうですか?
上から見ると、六角形の形をしてますよね~??
太子堂には聖徳太子二歳像が安置されています
そしてそして!他にもおもしろいモノを発見
こちらは、へそ石です。
ヘソ
そうです、おへその事です♪
以前にも触れていますが、この六角堂が建っている場所は住所でいうと、京都市中京区というところで
京都の中心部なんですよね★
つまり、京都のへそってワケなんです。
なんと、境内でも食べられますよ~。
お味はというと
きな粉餅に近く、食感と風味がサイコー
中で食べると、抹茶もしくは緑茶も一緒につけて出してくれます♪
またまた、その相性がバッチリで。
うふふ、幸せ
またひとつ六角堂が好きになっちゃいました(・∀・)
線香の時にびっくりしました!とっても個性的★
次に京子がビビビっと来たのは
縁結びのご利益があるといわれる「縁むすびの柳」
嵯峨天皇にお嫁さんがおらず困っていたところ、
彼がある日、夢を見ます。
そしてこんなお告げが・・・
「六角堂の柳のもとに行けば、君にピッタリの奥さんがいるはずだ
ほら、行きなさい。行かないの?
その一足が道となる。
迷わず行けよ!
行けばわかるさっ!
いーち、にー、さーん。ダーーーーーーー!!!!!!」
・・・と猪木さん風だったかどうかはわかりませんが
そのお告げを信じ、この柳の下に嵯峨天皇が行ってみると・・
なんと、そこには絶世の美女が!
無事にその方を后に迎えたそうです
そして、この話から「縁むすびの柳」と呼ばれ、
柳の枝の2本におみくじを結びつけてお願いすれば良縁に恵まれるといわれているんです
そして、境内を歩いていると、、なにやら銅像を発見!!
こちらは親鸞(しんらん)上人です。
この六角堂は親鸞上人というお坊さんが百日参籠(ひゃくにちさんろう)をした事でも知られていて
1201年、末法思想の最中、仏教界は堕落し危機を迎えていました。
そんな時、親鸞上人はすがるように聖徳太子の建立した六角堂に、百日参籠を始めたそうです。参籠というのはお寺にこもる修行の事ですね★
そして参籠から95日目、夢の中で聖徳太子からの夢告を受け、法然上人の元を尋ねたとされています。
ちなみに親鸞上人で有名な言葉と言えば・・・
「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
善人ですらこの世を去って極楽へ行けるのだから、悪人は言うまでもなく極楽へ行ける、という事だそうです。
一瞬???はてな??悪人が極楽?と、なんだかちょっと何言ってるの!?
と思っちゃいますが
この言葉をひも解くと、
善人は自分だけを信じ、いい事をしたんだから極楽へ行けるだろう。と思い
悪人は悪い事をしたから、極楽に行くには仏を頼らなければ行けない。と思う。
これって何かに似てるなと思ったら「蜘蛛の糸」というお話し。他人を蹴落として極楽に行こうとする主人公の雲の糸は結局切れちゃうんですよね。つまり、仏を超えようとする人が極楽に行けない?
( ´Д`)あぁ、なんだか頭がこんがらがってきちゃってすみません。
これが哲学というものなのでしょうか??
ちなみに親鸞上人は、それからどうしたかと言うと・・・
法然上人を中心に、京都東山の吉水に草庵を結び農民や町民、そして武士にいたるまであらゆる階層の人々が群参するようになり、浄土仏教は広がります
しかーし!!!これがなんと・・・
既成の仏教教団のねたみや反発を買ってしまう結果になりました。(泣)
お坊さん同士の争いですよね。
挙句、後鳥羽天皇の宣下によりなななんと、危険思想とされ
法然上人を筆頭に、親鸞上人も流罪されました。
これを承元の法難と言います。
以前紹介した、鈴虫・松虫のお話しはこの延長線上だと言えるんですね。
うーん、争いはどの世の中も絶えないという事なんですね。。
そんな悲しいエピソードから一転最後にご紹介するのは
「いけばな」
この六角堂はいけばな発祥の地とも言われています♪
この六角堂の隣には「池坊(いけのぼう)」そうです!あの、いけばなの元祖。
現在は池坊中央研修学院をはじめ、いけばなの教室を全国で展開し池坊短期大学、池坊お茶の水学院、池坊文化学院などその名はとっても有名ですよね。
この池坊という名前、絵馬にもその姿が描かれていますが
最初にもご説明しました、聖徳太子がこの地で身体を洗った「池」のあるお寺の「坊」さんたちが、いけばな文化を作り上げた事からこの池坊という名前が付けられたようです
う~ん、納得!
私も、いけばなをたしなむ
おしとやかさを身につけたいなと思う今日この頃・・
でも、どうしても
いけばなよりも、祭りごとに血が騒いでしまうんです~!!!
という事でまだまだ祇園祭は始まったばかり。
一ヶ月間楽しみで仕方ありません~
そんな六角堂の場所はコチラ↓
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