![]() | 2010-06-09 |
テーマ:お寺 |
関連:安楽寺のツツジ / 鹿ヶ谷カボチャ供養(安楽寺) / |
安楽寺
こんにちは京子です
今回は2人の女性と、2人のお坊さんの
悲しいストーリーが詰まったお寺!
安楽寺(あんらくじ)
こちらの場所ですが、京都は左京区の
鹿ケ谷(ししがたに)にあります
鹿ケ谷という地名ですが
天台宗の円珍という人物が道に迷ったときに
なーんと、鹿
が道案内をしてくれた!
という事からみたいです
なんて、お利口な鹿ちゃん
安楽寺の中に一歩足を踏み入れるとそれはとっても色鮮やかな
サツキが出迎えてくれます♪
サツキって、そういえば
花びらの下の方の蜜を吸いますよね~
京子の登下校の道には、よくサツキが咲いていてそれを取って口に加えてチューチューしながら歩いてた小学校低学年の頃を少し思い出しましたっ。
本堂前の庭園にはサツキの他にも
仏像や
仏足石もありました。
そういえば、
鹿ケ谷というとピンとくる人もいるのではないでしょうか?
そうです
平清盛打倒のクーデターを計画した事件
鹿ケ谷の陰謀です!
これは結局、清盛の知るところとなり
関わった人たちは死罪、または流罪になっちゃうんですが
じつは鹿ケ谷の陰謀には
後白河法皇も関わっていたのでは
という疑惑が生まれるんですよね
というか、・・・・恐らく関わっていたと思いますね
後白河法皇は
平氏、源氏をうまく使って権力を維持した人で
源頼朝なんかに言わせると「日本一の大天狗」らしいですから(笑)
駒札によると、法然上人(浄土宗の生みの親)が
2人の弟子と
2人の女性を
供養する為にこのお寺を建てます。
その法然上人の2人の弟子というのが
安楽房(あんらくぼう)と住蓮房(じゅうれんぼう)
安楽房と住蓮房は「鹿ヶ谷草庵」という念仏道場で集まり(法会)念仏、礼拝をしていたんですが、そこにある2人の女性が度々参加していたんです!
それが松虫と鈴虫という女性だったんです。
彼女たちは、どんな人なのかっていうと・・・
後鳥羽上皇の女官!
その女官の2人が、後鳥羽上皇にナイショで、鹿ヶ谷草庵に通い
とうとう・・・出家をしてしまうんです
そうです、後鳥羽上皇の女官から
突然、尼さんに
この時、ちなみに松虫は19歳、鈴虫は17歳だったそうです。
尼さんになると、昔は結婚出来なかったですしね。。
どちらも大変な若さで、決断してースゴイ!
はい、で・・・そうなると
当然、黙っていないのが後鳥羽上皇ですよね
もう、かなりの怒り具合だったと思います。
安楽房と住蓮房に詰め寄り
「俺の女、おまえらどないしてくれんねーん!!」
とでも、言い出しそうですが
案の定・・・
住蓮房・安楽房は死罪になり斬首!
そして2人の師匠である法然も流罪に・・・
その他数名にも死罪、流罪を後鳥羽上皇より言い渡されます。
うーん、つまり「連帯責任」ってコトですね。
ツライ・・・(汗)
松虫と鈴虫の2人も、その後、瀬戸内海に浮かぶ生口島で余生を送り松虫は35歳、鈴虫は45歳まで往生します。
その後、鹿ヶ谷草庵は当然、廃墟と化したのですが
流罪の後に京に戻った法然が
建てたのがこの安楽寺でした。
そんな安楽寺にはもちろん
住蓮房・安楽房、2人のお墓があり、
辞世の詠もあります。
住蓮上人辞世の詠
極楽に 生まれむことの うれしさに 身をば佛に まかすなりけり
安楽上人辞世の詠
今はただ 云う言の葉も なかりけり 南無阿弥陀仏の み名のほかには
そして
もちろん松虫と鈴虫の供養塔もありました。
そんな安楽寺ですが、本殿の隣には立派なお庭が
どーですか、この景色
もう一枚っ!
こちら、安楽寺では毎年7月25日に「カボチャ供養」というのも
行われていまして
江戸末期、中風(まひや言語障害、手足のしびれ)に苦しむ街の人々を見た安楽寺の真空益随(しんくうえきずい)上人が、ご本尊阿弥陀如来より
「夏の土用の頃に、当地の鹿ヶ谷カボチャを振る舞えば中風にならない」
という言葉を受け、それ以来、毎年7月25日にこちらで
「カボチャ供養」を行っているそうです
使われる鹿ヶ谷カボチャは7~8月に収穫されるカボチャだそうです
そんな安楽寺の場所はコチラ↓
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