今回は、2人の女性と2人のお坊さんの
悲しいストーリーが詰まったお寺
安楽寺(あんらくじ)を
ご紹介したいと思います。
安楽寺は、京都市左京区(さきょうく)の
鹿ケ谷(ししがたに)にあります
ちなみに鹿ケ谷という地名は
円珍(えんちん)という天台宗のお坊さんが
道に迷ったときに、鹿が道案内をしたことに
由来してるそうですよ。
境内に一歩足を踏み入れると
それはそれは、とっても色鮮やかな
サツキが出迎えてくれました♪
安楽寺は、法然(ほうねん)の2人の弟子が
鹿ケ谷草庵という念仏道場を営んだのが
始まりなんだそうです。
その2人の弟子というのは
安楽房(あんらくぼう)と住蓮房(じゅうれんぼう)です。
安楽房と住蓮房は「鹿ケ谷草庵」に集まっては
法会や念仏、礼拝をしていたんですね。
そこに2人の女性、松虫(まつむし)と鈴虫(すずむし)が
度々参加していたといいます。
彼女たちは、どんな人なのかっていうと・・・
後鳥羽上皇(ごとばじょうこう:第82代天皇)に仕える
女官(にょかん)でした。しかも
上皇お気に入りの女官です。
その女官の2人が、後鳥羽上皇にナイショで、鹿ケ谷草庵に通い
とうとう出家をしてしまいます
後鳥羽上皇の女官から突然、尼さんに
この時、松虫は19歳、鈴虫は17歳だったそうです。
そうなると、黙っていないのが後鳥羽上皇です
もう、かなりの怒り具合で安楽房と住蓮房に詰め寄り
「俺の女、おまえらどないしてくれんねーん!!」
とでも、言い出しそうですが案の定・・・
住蓮房・安楽房は死罪になって斬首されます。
そして2人の師匠の法然も流罪に・・・。
その他にも数名が死罪、もしくは流罪になりました。
「連帯責任」ってことですね。
ツライ・・・(汗)
松虫と鈴虫の2人は、上皇から逃れて
瀬戸内海に浮かぶ生口島(いくちじま)で余生を送り
松虫は35歳、鈴虫は45歳で
往生したと伝わっています。
その後、鹿ケ谷草庵は廃墟となったようですが
法然が流罪から京に戻って草案を復興し
「安楽寺」と名付けたんですね。
安楽寺にはもちろん
住蓮房・安楽房、2人のお墓があり
辞世の詠も残されています。
住蓮上人辞世の詠は
極楽に 生まれむことの うれしさに
身をば佛に まかすなりけり
というものです。
一方、安楽上人辞世の詠は
今はただ 云う言の葉も なかりけり
南無阿弥陀仏の み名のほかには
というものです。
さらに、安楽寺には松虫と鈴虫の供養塔もあります。
こちらは本堂になります。
本堂内には、ご本尊の
阿弥陀如来立像が安置されています。
本堂前には立派なお庭が
どーですか、この景色
もう一枚っ!
また、本堂前の庭園にはサツキの他にも
仏像や
仏足石もありました。
ということで、今回は安楽寺をご紹介しました。
安楽寺の場所はコチラ↓