今回は、2人の女性と2人のお坊さんの
悲しいストーリーが詰まったお寺
安楽寺(あんらくじ)を
ご紹介したいと思います。
![安楽寺の階段](2010/06/09/01/2010-06-09-1.jpg)
安楽寺は、京都市左京区(さきょうく)の
鹿ケ谷(ししがたに)にあります
ちなみに鹿ケ谷という地名は
円珍(えんちん)という天台宗のお坊さんが
道に迷ったときに、鹿が道案内をしたことに
由来してるそうですよ。
![安楽寺のサツキの通路](2010/06/09/01/2010-06-09-2.jpg)
境内に一歩足を踏み入れると
それはそれは、とっても色鮮やかな
サツキが出迎えてくれました♪
![安楽寺のサツキ](2010/06/09/01/2010-06-09-3.jpg)
安楽寺は、法然(ほうねん)の2人の弟子が
鹿ケ谷草庵という念仏道場を営んだのが
始まりなんだそうです。
![安楽寺のこま札](2010/06/09/01/2010-06-09-6.jpg)
その2人の弟子というのは
安楽房(あんらくぼう)と住蓮房(じゅうれんぼう)です。
安楽房と住蓮房は「鹿ケ谷草庵」に集まっては
法会や念仏、礼拝をしていたんですね。
そこに2人の女性、松虫(まつむし)と鈴虫(すずむし)が
度々参加していたといいます。
彼女たちは、どんな人なのかっていうと・・・
後鳥羽上皇(ごとばじょうこう:第82代天皇)に仕える
女官(にょかん)でした。しかも
上皇お気に入りの女官です。
その女官の2人が、後鳥羽上皇にナイショで、鹿ケ谷草庵に通い
とうとう出家をしてしまいます
後鳥羽上皇の女官から突然、尼さんに
この時、松虫は19歳、鈴虫は17歳だったそうです。
そうなると、黙っていないのが後鳥羽上皇です
もう、かなりの怒り具合で安楽房と住蓮房に詰め寄り
「俺の女、おまえらどないしてくれんねーん!!」
とでも、言い出しそうですが案の定・・・
住蓮房・安楽房は死罪になって斬首されます。
そして2人の師匠の法然も流罪に・・・。
その他にも数名が死罪、もしくは流罪になりました。
「連帯責任」ってことですね。
ツライ・・・(汗)
松虫と鈴虫の2人は、上皇から逃れて
瀬戸内海に浮かぶ生口島(いくちじま)で余生を送り
松虫は35歳、鈴虫は45歳で
往生したと伝わっています。
その後、鹿ケ谷草庵は廃墟となったようですが
法然が流罪から京に戻って草案を復興し
「安楽寺」と名付けたんですね。
安楽寺にはもちろん
![安楽寺の住蓮房](2010/06/09/01/2010-06-09-7.jpg)
![安楽寺の安楽房](2010/06/09/01/2010-06-09-8.jpg)
住蓮房・安楽房、2人のお墓があり
![安楽寺の辞世の詠](2010/06/09/01/2010-06-09-9.jpg)
辞世の詠も残されています。
住蓮上人辞世の詠は
極楽に 生まれむことの うれしさに
身をば佛に まかすなりけり
というものです。
一方、安楽上人辞世の詠は
今はただ 云う言の葉も なかりけり
南無阿弥陀仏の み名のほかには
というものです。
さらに、安楽寺には松虫と鈴虫の供養塔もあります。
![安楽寺の松虫と鈴虫の供養塔](2010/06/09/01/2010-06-09-10.jpg)
こちらは本堂になります。
![安楽寺の本堂](2010/06/09/01/2010-06-09-13.jpg)
本堂内には、ご本尊の
阿弥陀如来立像が安置されています。
本堂前には立派なお庭が
![安楽寺の景色](2010/06/09/01/2010-06-09-11.jpg)
どーですか、この景色
![安楽寺の景色もう一枚](2010/06/09/01/2010-06-09-12.jpg)
もう一枚っ!
また、本堂前の庭園にはサツキの他にも
![安楽寺の仏像](2010/06/09/01/2010-06-09-4.jpg)
仏像や
![安楽寺の仏足石](2010/06/09/01/2010-06-09-5.jpg)
仏足石もありました。
ということで、今回は安楽寺をご紹介しました。
安楽寺の場所はコチラ↓