今回ご紹介するのは
京都に古くからある伝説を
いくつかご紹介したいと思います!
京都は、『魔界』と
表現する人がいるくらい
数々の伝説が各地に伝わっている
場所でもあるんですね
そしてそういった伝説は、うわさ話程度で終わらずに
能や狂言に取り入れられたりするものもあります
あなたの知らない京都が
まだまだあると思いますよ~
それでは早速、ご紹介していきましょう
■宴の松原(えんのまつばら)
場所:京都市上京区出水通千本西入ル付近
宴の松原は、かつて平安京があった頃
皇居や官庁のあった大内裏(だいだいり)の
武徳殿(ぶとくてん)の東側
豊楽院(ぶらくいん)の北側に
位置する場所にあった松林の事なんですね。
宴会が行われる場所だったという説や
内裏を建て替えるための代替地であった等
諸説あるみたいなんですけれど
何のために作られたのか
実際のところわかっていません
けれど、そんな宴の松原では
ある怖~いエピソードが伝わっているんですね!
平安時代初期の887年(仁和3年)8月17日
月明かりのあった夜
宴の松原を若く美しい女性3人が
仲良く東に歩いていたそうです
すると、松の木の下から
容姿端麗な1人の男性が現れました
その男性は、3人の女性のうち
1人の手を引いて木の木陰へと誘い込んだんですね
残された2人の女性は
すぐに戻ってくるだろうと思って
待っていたそうなんですけれど
女性は待てど暮らせど戻ってきませんでした
ついに不審に思った2人は
誘い込まれた木陰を見に行くと・・・
なんと!女性の手足だけが
その場に落ちていたそうです
その後、警護の人間も現場に見にいくと
やはり手足は残っていたんですが
それ以外はどこを探しても
見つからなかったんですね
この話を聞いた誰もが
「これは人間に化けた鬼が
女性を食べたに違いない!」
と思ったそうですよ。
■子安観世音(こやすかんぜのん)
場所:京都市左京区北白川西町
左京区の百万遍(ひゃくまんべん)と呼ばれる交差点を
ちょっと東に入った今出川通(いまでがわどおり)と
志賀越道(しがごえみち)の交差点に
江戸時代から安置されてる子安観世音という
大きな石仏があります
安土桃山時代のある時、この子安観世音が
夜な夜な動き出すといった噂が立ったんですね
その噂を聞いた、天下人
豊臣秀吉(とよとみひでよし)は
自分の屋敷『聚楽第(じゅらくだい)』に
運び込んで様子を見る事にしたそうです!
するとその日から
夜な夜な泣き声が聞こえてくるじゃありませんか
秀吉が泣き声のする所に行ってみると
子安観世音が
「白川の地に帰りた~い!」と
泣いていたというんですね~。
それで秀吉は仕方がないので
もとの場所に戻したといわれ
この話から子安観世音は
『太閤の石仏』や『太閤地蔵』とも
呼ばれているんですよ~
■歯形地蔵
場所:京都市北区千本通鞍馬口上ル
こちらのお地蔵さんは
京都市北区の千本鞍馬口
(せんぼんくらまぐち)にあり
もともとは、逆さ川地蔵
(さかさがわじぞう)と呼ばれていたそうです
鞍馬口通りに、まだ川があった頃
近くに若い夫婦が住んでいました。
妻は、働き者で真面目な良い夫なので
他の女性にとられるかもしれないと
毎日浮気の心配をしていたというんですね。
心配性な妻は、ある日
夕方から雨が降って来たので
夫を心配して傘を持って迎えに行ったそうです
すると・・・なんと!向こうから夫が
美しい女性と相合傘で歩いてくるじゃありませんか
その姿を見た妻は逆上し
夫に掴みかかるんですね~
夫は妻の姿に驚き、とっさに
橋のたもとに安置されていた
お地蔵さんの陰に隠れました!
そして次の瞬間、妻が
「ガブリっ!!」
と・・・夫に噛み付くつもりが
お地蔵さんに
噛み付いてしまったんですね~
しかも、噛み付いた歯が
お地蔵さんの肩に食い込んで離れません
結局、妻はそのまま亡くなってしまうんですけれど
これ以降、このお地蔵さんの事を
歯形地蔵と呼ぶようになったそうですよ
今でもお地蔵さんの左肩には
うっすらと歯型のような跡が残っているそうです
■源融 河原院跡(みなもとのとおるかわらいんあと)
場所:京都市下京区木屋町通下ル
源融(みなもとのとおる)というのは
嵯峨天皇(さがてんのう・第52代天皇)の皇子で
源氏物語(げんじものがたり)の主人公である
『光源氏(ひかるげんじ)』のモデルとも
いわれている人物です
そんな彼が隠棲地として営んだ六条河原院は
源融が亡くなってから
宇多上皇(うだじょうこう・第59代)の
御所(仙洞御所)となって
東六条院とも呼ばれていました。
今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)には
宇多上皇(うだじょうこう・第59代)が
河原院にいるときに、源融が現れたらしく
「ここは私の家です!」と言ったんだそうです
しかし宇多上皇は
「あなたの息子に譲ってもらったんだ。」
と言うと、そのままスゥーっと消えたというんですね。
また江談抄(ごうだんしょう・説話集)には
「宇多上皇の京極御息所を欲しい!」
等と言った話が書かれていたりします
この他にも源融が霊となって現れたという話は
いくつか残っているんですね
近年では、あまりこういった話は聞かれませんけれど
もしかすると、今でも不思議な事が起こるかも知れません。
ご興味ある方は是非1度訪れてみてはいかがでしょうか
という事で、今回は
京都に古くからある伝説を
ご紹介させていただきました