2014-10-17 | |
テーマ:史跡 |
関連:羅城門跡地 / 大極殿跡 / |
宴の松原
今回ご紹介するのは
京都市上京区にある
宴の松原(えんのまつばら)です!
宴の松原は、縁の松原とも記され
かつて平安京があった頃
皇居や官庁のあった大内裏(だいだいり)の
武徳殿(ぶとくてん)の東側
豊楽院(ぶらくいん)の北側に
位置する場所にあった松林の事なんですね
※武徳殿は、大内裏の御殿の1つで宮中で競馬などを見る際に使われた建物の事です。 豊楽院は、大内裏の御殿の1つで宮中の宴会をする建物の事です。豊楽とは、『とよのあかり』といって宴会を意味します♪
そんな場所にあった宴の松原は
一体、何のために作られたのか?
と言いますと・・・
実はわかっていないんです
宴会が行われる場所だったという説や
内裏を建て替えるための代替地であった等
諸説あるみたいなんですけれど
結論は出ていません。
けれどこの宴の松原には
ある怖~いエピソードが伝わっているんですね~
それは平安時代の初め
光孝天皇(こうこうてんのう・第58代天皇・小松帝(こまつのみかど))の 時代のお話です。
887年(仁和3年)8月17日
月明かりのあった夜
宴の松原を若く美しい女性3人が
仲良く東に歩いていたそうです。
すると、松の木の下から
容姿端麗な1人の男性が現れます
その男性は
3人の女性のうち1人の手を引いて
木の木陰へと誘い込みました
その後、残された2人の女性は
すぐに戻ってくるだろうと思って
待っていたそうです。
誘い込まれた女性も嫌がらず
残り2人も待っていたという事は
きっとかなりのイケメンだったんでしょうね
けれど女性は待てど暮らせど
戻ってこないんです!!
それどころか
話声や物音1つしていなかったそうですよ
ついに不審に思った2人は
誘い込まれた木陰を見に行ったんですけれど・・・
そこには女性の姿も男性の姿も無く
誰もいませんでした。
おかしいな~と思って
よく探してみると
なんと!女性の手足だけが
その場に落ちていたそうです。
きゃ~!!!!!!!
と驚いたかどうかは分かりませんけれど
とにかく2人は怖くなって
その場を逃げるんですね。
それもそうですよね。
私もそんな光景を見てしまったら
普段の倍以上のスピードで走れそうな気がします
そして、2人はこの事を警護の人間に話します。
警護の人間が木陰に行くと
2人の話すとおり
手足は残っていたんです・・・
手足は・・・
そう!手足以外はどこを探しても
見つからなかったんですね
この話を聞いた誰もが
「これは人間に化けた鬼が
女性を食べたに違いない!」
と思ったそうですよ。
ちなみにこの話は
『日本三代実録』や『今昔物語(こんじゃくものがたり)』
に納められています
『栄花物語(えいがものがたり)』の歌「あわれにも今は 限りと思いしを まためぐりあふ えんの松はら」と刻まれた歌碑。
また別の話も伝わっていまして・・・
藤原道隆(ふじわらのみちたか)が
弟である藤原道長(ふじわらのみちなが)と
肝試しをしたそうなんですけれど
その時に宴の松原あたりから
不気味な声が聞こえてきたんですね~。
驚いた2人は肝試しもそっちのけで
一目散に逃げ帰ったと伝わっています
ちなみにこちらの話は
『大鏡(おおかがみ)』に納められています。
※藤原道長と言えば、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ事で有名ですよね。彼の別荘である『宇治殿』が後に平等院になるんですよ。
もしかすると犠牲になった女性の
声だったのかも・・・
ちなみにこの宴の松原のあるあたりは
出水通七不思議の寺院がある場所で
昔から不思議な事が起こる場所なのかもしれません
※出水通七不思議について詳しくは、出水通七不思議巡りの記事をご覧ください。
ご興味ある方は訪れてみてはいかがですか?
もしかすると、何か不思議な事が起きるかも知れませんよ
そんな宴の松原のある場所はコチラ↓
より大きな地図で 宴の松原 を表示 Tweet
1 ■おお~
怖いです~
とてもホテルで一人では眠れません・・・
色々と予備知識をいただき感謝です
ああ~怖い~
ゆずちゃんさん 2015-07-19 16:21:23
2 ■Re:おお~
>ゆずちゃんさん
落ちている手足だけを見てしまったら
腰を抜かしてしまいそうです(笑
何か不思議な事が起きたら
ぜひ、コメントで教えてくださいね。
京子 2015-07-20 17:45:34
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