今回ご紹介するのは
京都市上京区にある北野天満宮
(きたのてんまんぐう)の御旅所で行われた
![ずいき祭 甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)](2015/10/03/01/2015-10-03-3.jpg)
京都で一番早い秋祭といわれています
![北野天満宮](2010/10/07/01/2010-10-07-11.jpg)
10月1日から5日間行われるお祭で
野菜を中心とした
約30種類の食べ物で装飾された
『ずいき神輿』を菅原道真
(すがわらのみちざね)に献上し
3基の鳳輦(ほうれん)や行列が
五穀豊穣を願い
氏子区域を巡行する祭なんです!
![ずいき神輿](2012/10/04/02/2012-10-04-2.jpg)
ずいき神輿
それぞれの日程を簡単にご紹介しますと
・1日目に神幸祭(しんこうさい)
・2日目に献茶会(けんちゃかい)
・3日に甲御供奉饌
・4日目に還幸祭(かんこうさい)
・5日目に后宴祭(ごえんさい)
となっているんですね~
※それぞれについて詳しくは、ずいき祭の日程一覧をご覧下さい。
そして今回ご紹介するのは
ずいき祭3日目に
北野天満宮御旅所で行われる
甲御供奉饌です
![北野天満宮御旅所](2015/10/03/01/2015-10-03-4.jpg)
北野天満宮御旅所
甲御供奉饌とは
御旅所にご鎮座している神様に
西ノ京七保会の方達による
甲(かぶと)の形にした供物を
お供えするというものなんですね~
その甲の形にした供物がコチラです
![甲の形にした供物](2015/10/03/01/2015-10-03-3.jpg)
甲の形にした供物
なんだか変わった形をしてますよね~?
お米をまーるく盛って
真ん中に花を挿し
生けられているような印象です
でもどうしてこんな珍しい
形になったんでしょうか?
気になりますよね
それには戦国時代まで
時間を遡る必要があります!
時は戦国時代の1527年(大永7年)・・・
阿波国(あわのくに)の
三好長基(みよしながもと:三好元長)が
京都に攻め入った際
それを食い止めようと
室町幕府(むろまちばくふ)第12代将軍
足利義春(あしかがよしはる)の管領(かんれい)
細川高国(ほそかわたかくに)と
桂川(かつらがわ)でぶつかり
『桂川原の戦い
(かつらかわらのたたかい)』
![](../emoji/ikari01.gif)
その時、高国は
長基に敗れてしまうんですけれど
偶然京都にいた越前の守護
朝倉孝景(あさくらたかかげ:宗淳孝景)が
西ノ京の神人(じんにん)らと協力して
長基の軍勢を阿波に追い返したんですね
※神人とは、神社の神事や社務の補助、雑役等をする下級神職や寄人の事。
その事を将軍である義春が称え
3月3日と9月9日をめでたい日である
吉例(きちれい)の日に定めて
北野天満宮に甲の御供をしたのが始まりと
されているんですね
![甲の御供](2015/10/03/01/2015-10-03-2.jpg)
甲の御供
それ以降、西ノ京の神人は
3月と9月の年に2回、甲の御供を
安楽寺一之保御供社(あんらくじいちのほごくしゃ)で
作ってお供えしてきたというワケです
※一之保御供社は後に、安楽寺天満宮となっています。
1873年(明治6年)に
神人の御供所が廃止された事で
一時的に中断していたそうですけれど
1907年(明治40年)、旧神人らの
西ノ京七保会によって復興され
現在、毎年ずいき祭の3日目の10月3日に
甲御供奉饌が行われているんですね
![祝詞奏上](2015/10/03/01/2015-10-03-1.jpg)
祝詞奏上
お祭は午後15時頃から行われ
甲の御供がお供えされた中
約30分程でかけて
祝詞奏上(のりとそうじょう)や
玉串による拝礼である
玉串奉奠(たまぐしほうてん)等が行われ
お納めされます
神様は明日の還幸祭まで
この地に留まります!
御旅所では、神様が留まっている間
夜店が出て、地元の子供達が集まり
この辺りは賑やかになります
ご興味のある方は
足を運ばれてみてはいかがでしょうか♪
そんな甲御供奉饌が行われた
北野天満宮御旅所の場所はコチラ↓