今回ご紹介するのは・・・
京のユニークな地名です。
京都に残る、一味違った
ユニークな地名や町名、通りの名前を
ご紹介したいと思いますっ
では、早速いってみましょう~
■匂天神町(においてんじんちょう)
匂い天神??
天神さんが匂うって事
とちょっと不思議な感じになりますよね?
実はこの匂天神町という町名は
この地にある匂天神社(においてんじんしゃ)に
由来しているんですね
ちなみに天神さんとは
もちろん菅原道真(すがわらみちざね)の事です♪
幼少より学問に励み
文章博士(もんじょうはかせ)
という中国の歴史や漢文を教える先生になったと
いわれています
※菅原道真について詳しくは、菅大臣神社 その1をご覧ください。
さて、そんな道真をお祀りする
匂天神社があった事から
匂天神町という町名になったんですけれど
もともとは
北を竹之辻子町
南を随音辻子町と呼んでいたみたいで
2つの町の合併の際に町名を
匂天神町としたそうですよ
※辻子(ずし・図子とも)は、家と家の間を通るような細い道の事です。
■雲母坂(きららざか)
これは全く読めませんよね(汗)
雲に母と書いて『きらら』なんですから!
この坂は
修学院離宮の脇道から
比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の
根本中堂(こんぽんちゅうどう)に至る
約3.5キロの古道の事で
延暦寺の根本中堂です。
京都から比叡山への最短ルートとなっています
ちなみに名前の由来は
道の途中の土砂に鉱物の一種である
雲母(きらら、うんもとも)を含んでいる為とか
朝と夕方に洛中から坂の方を見ると
雲が『もくもく』と
わきでているように見えるから等と
いわれています
そんな雲母坂は
別名『勅旨坂(ちょくしざか)』や『表坂』
また、『不動坂』とも呼ばれたみたいです。
勅旨坂や表坂といわれる由縁は
朝廷の勅旨が延暦寺に向かうときに
使った為といわれています
■太秦(うずまさ)
こちらは京都ではお馴染みの
難解な読みの地名として
いろいろな情報誌やテレビでも
紹介されていますよね
そんな有名な太秦の地は
京都のどの辺りにあるのかと言いますと
京都市右京区にある広隆寺(こうりゅうじ)の辺りです♪
※さらに西へ進むと嵯峨・嵐山エリアです。
広隆寺です。
その名の由来は秦氏(はたし)が朝廷に
機織である絹を
『うず高く積み』献上したからという説や
秦氏への尊敬の意味を込めて
大という字を2つ重ねた字である
『太い』という字で表し
太秦と読んだという説等
いろいろとあるんですね
いずれにしても
秦氏と深い関わりがある
土地というワケです♪
ちなみに秦氏とは
古墳時代に百済(くだら)から
弓月王(ゆづきのきみ)という人物が
百済から民衆1万人以上もの人間を
引き連れ日本に渡来し
大和政権の組織下に入った豪族達の事です
そんな秦氏が氏寺として建てたのが
広隆寺なんですね
広隆寺は
聖徳太子(しょうとくたいし)から
仏像を授かった秦氏の
秦河勝(はたのかわかつ)が
蜂岡寺(はちおかでら)という名称で
創建したのが始まりなんだそうですよ
修学旅行生が京都を訪れた際に
必ずといって良いほど
訪れる場所『東映太秦映画村』も
太秦の地にあります!
■柏清盛町(かしわきよもりちょう)
ん?清盛
この町名の名前を見ると
平清盛(たいらのきよもり)ゆかりの地なの??って
思ってしまいますよね~
けれど実際は清盛とは全く関係が無いんです
じゃぁ一体どうして
こんな名前がついているのかといいますと
実は1868年(明治元年)に
・柏野町(かしわのちょう)
・清玄町(せいげんちょう)
・盛下町(せいかちょう)
が合併して、それぞれの頭文字である
『柏』『清』『盛』を
並べて町名としたからなんだそうです
それで清盛の字が浮かび上がるなんて
凄い偶然ですよね
ちなみに場所は
京都市の上京区にあって
近くには千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)や
釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)こと
石像寺(しゃくぞうじ)があります
※千本釈迦堂や釘抜地蔵について詳しくは、大報恩寺(千本釈迦堂) その1、釘抜地蔵(石像寺)の記事をご覧ください。
という事で今回は京のユニークな地名を
ご紹介させていただきました♪場所はコチラ↓