今回ご紹介するのは
京都市左京区にある
極楽寺(ごくらくじ)です!
え?極楽寺って今までにも
何回か紹介されているんじゃ
ってお思いの方もいるかと思いますけれど
実は極楽寺という名前のお寺は
たくさんあるんですね~。
※上京区にある極楽寺は、極楽寺(上京区)の記事をご覧ください。下京区にある極楽寺は、極楽寺(下京区)の記事をご覧ください。
そんな中、今回ご紹介する極楽寺は
京都市左京区の真如堂町にある
時宗(じしゅう)のお寺です!
近くには真如堂や
萩で有名な迎称寺(こうしょうじ)
竹中稲荷社(たけなかいなりしゃ)等があるんですよ
さて、こちらの極楽寺は
時宗のお寺で
山号を徳池山と言います。
歴史は古く、990年(正歴元年)に
恵心僧都(えしんそうず)源信(げんしん)が
天台宗の寺院として創建したのが始まりなんだそうですよ。
その後は、衰退していたんですけれど
1275年に一遍(いっぺん)が中興して
時宗に改めたと言われています
極楽寺はもともと
上京区の寺町一条あたりにあったそうなんですけれど
1693年、真如堂の移転とともに
現在の場所に移ってきたというわけなんですね。
ちなみに一遍は
踊念仏(おどりねんぶつ)で
仏教を民衆に広く説いた人として有名なんですけれど
その話はまた後ほどするとしまして
早速、中に入っていきましょう
山門を抜けると
目の前には本堂があります。
こちらは本堂である観音堂です。
観音堂には、観音像の他に
ご本尊である勝利毘沙門尊天が
安置されています
こちらは山門の横に咲いていた
彼岸花(ヒガンバナ)です。
彼岸花は曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも呼ばれ
9月の中旬頃身頃を迎えるんですよ。
ちなみに彼岸花と呼ばれるのは
秋のお彼岸のあたりに花が咲くからなんですね~
極楽寺を訪れた時は
ちょうど見頃の時期でした
そしてこちらは白い彼岸花!
ちょっと珍しいと思いませんか
さて、冒頭でも触れました
一遍についてご紹介したいと思います。
彼は鎌倉時代のお坊さんで
通称『遊行上人(ゆぎょうしょうにん)』と
呼ばれている人なんですね。
遊行とは僧が布教などの為に
全国を巡る事なんですけれど・・・
実はこの一遍、遊行の際に
鐘や太鼓を打ち鳴らし
踊りながら念仏を唱える
といった事をしていたんですね~
これを踊念仏と呼ぶんですけれど
どこかで聞いた事がありませんか
そう!
元祖・踊るお坊さん事
空也(くうや)ですよね
※空也について詳しくは、六波羅蜜寺の記事をご覧ください。
境内の地蔵尊です。
何を隠そう一遍は
空也を尊敬してやまなかったと
言われています!
そして、一遍は遊行の際
厳しい修行をしなくても
時間やお金に余裕のない農民でも
また、善人であろうが悪人であろうが
信仰心があろうがなかろうが
「念仏を唱えれば極楽浄土に行ける!」
と説いたと言われています。
※この考えを『他力』と言います。
実はこれ、物凄い事なんですね
当時、極楽浄土に行く為には
出家して時間をかけて厳しい修行をし
自ら悟りを開くしか無いと考えられていました。
※この考えを『自力』と言います。
普通の人は、そこまで
なかなか出来ませんよね
そんな中
一遍は南無阿弥陀仏を唱えれば
極楽浄土にいけると説いたわけですから
当時の人にとっては
かなりの衝撃だったと思います!
こうして、ただ念仏を唱えるだけでなく
鐘や太鼓を打ち鳴らし
仏教を親しみやすくした事から広まったのが
時宗という事なんですね♪
その為、一遍は
時宗の開祖と言われています。
ちなみに彼は
著書も残していたみたいなんですけれど
色々と勉強していく内に
「結局は南無阿弥陀仏だね♪」
という結論に辿りつき
書を燃やしたそうですよ
一遍らしい行動ですよね♪
そんな事を意味する言葉を
彼は最後のセリフとして残しています。
「一代聖教(いちだいしょうぎょう)皆尽きて
南無阿弥陀仏に成り果てぬ」
そんな一遍が中興した極楽寺の場所はコチラ↓
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