本日ご紹介するのは
第48回『京の冬の旅』非公開文化財で
特別公開されている
報恩寺(ほうおんじ)です!
報恩寺は
もともと天台浄土兼学寺院(てんだいじょうどけんがくじいん)のお寺でしたけれど
室町時代に後柏原天皇(ごかしわらてんのう・第104代天皇)の勅命によって
浄土宗のお寺となったそうですよ
ちなみに本尊は快慶(かいけい)の作と伝わる
阿弥陀三尊像です。
快慶は鎌倉時代に活躍した
慶派(けいは)の仏師です。
※運慶(うんけい)、湛慶(たんけい)、定覚(じょうかく)との合作『東大寺南大門の金剛力士像』が有名です。
それでは早速
報恩寺をご紹介して行きましょう
入り口には仁王像がありました。
まずこちら、看板にもありますように
『鳴虎(なきとら)』で有名なお寺なんですね~。
残念ながら本堂内は撮影禁止の為、看板の写真でご了承下さい。
鳴虎ってという人の為に
報恩寺に伝わる
ある不思議な逸話をご紹介します
天下人・豊臣秀吉(とよとみひでよし)は
報恩寺の住職が叔父にあたるということから
こちらのお寺によく来ていたそうです。
そのときに『鳴虎図』を
気に入って、いつものように
聚楽第に持って帰るんですね
ちなみに鳴虎図には松の木と
カワサギ(鳥)が2羽、描かれているんですけれど
秀吉が気にいった理由として
カワサギは
「カチカチカチ」
と鳴く事から縁起が良い物だと
思ったと言われています
※秀吉は聚楽第にいろんなものを持ち帰っています。その辺りの詳しい話は、明王院不動寺、子安観世音の記事をご覧下さい。
その後、夜になると
不思議なことに虎が
「寺に帰りたいガオー」と
鳴いたんだとか!?
実際にどんな鳴き声だったかはわかりませんけれど
とにかく鳴いたそうなんですよ
その鳴き声に秀吉は眠ることができず
翌朝早朝、報恩寺に戻したそうです。
こちらは本堂前の枯山水庭園です。
このような逸話から
この絵の事を鳴虎と呼び
報恩寺の事を通称『鳴虎報恩寺』と
呼ぶようになったみたいです。
通常、この鳴虎の絵を見ることが出来るのは
12年に1回!それも寅年の三ヶ日だけ!
めったにお目にかかれる代物じゃないんですね~
今回の特別公開を逃しますと
次の寅年である2022年までお預けって事になるかもしれませんよ。
2020年の東京オリンピックよりも先になってしまいますね
ちなみにこの鳴虎は
明の仁智殿にいた四明陶佾(しめいとういつ)という人が
描いたもので、非常にリアルに毛の一本一本まで描かれています。
今回はレプリカを見ているんですけれど
すごい技術で複製されたものらしく
解像度は約8億画素という世界最高クラス!
そしてさらに驚くことに
水を飲んでる虎の姿が
右から見ると長細く見え
左から見ると、ぼってりとした感じに見えるんですよ!
見る角度によって虎の見え方が変わる
なんとも不思議な絵なんですね。
こちらは通称『撞かずの鐘』と呼ばれている梵鐘です。
現在は『除夜の鐘』と『大法要』の年に2回以外は
撞かれていません。
※なぜ撞かずの鐘と呼ばれているのかは、除夜の鐘 2012(報恩寺)の記事をご覧下さい。
さて、このお寺、秀吉以外にも
ゆかりのある人物がいまして
それは現在NHKで絶賛放送中の大河ドラマ
『軍師 官兵衛』の息子
黒田長政(くろだながまさ)なんですね
※官兵衛について詳しくは、両足院 その1の記事をご覧下さい。
黒田長政は東軍の武将として
関ヶ原の合戦(1600年)で一番の功績を挙げた人です。
徳川家康(とくがわいえやす)から
その恩賞として
筑前名島(ちくぜんなじま・現在の福岡県名島)に
52万3000石を与えられ
初代『筑前福岡藩主』になった人なんですよ。
※あの吉川広家(きっかわひろいえ)と小早川秀秋(こばやかわひであき)の寝返りを演出した人なんです。
そんな彼が
徳川秀忠(とくがわひでただ・江戸幕府2代目将軍)の上洛に先立ち
このお寺に泊まったそうなんですけれど
なんと、病で倒れていまいます
その後、回復することは無く
長政は報恩寺の客殿で亡くなったと言われています。
最後の部屋となった
客殿には長政と父である官兵衛の位牌がありました。
稲荷社です。
この他にも
織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉の肖像画なども
特別に展示されていましたよ。
3月18日まで公開中ですから、ぜひ行かれてみてはいかがでしょうか
地蔵堂です。
という事で今回は
鳴虎で有名な黒田長政ゆかりのお寺をご紹介いたしました。
そんな報恩寺の場所はコチラ↓
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