今回ご紹介するのは・・・
古都・京都ゆかりの言葉です
今でも使われる『言葉』の語源には
1200年の歴史を持つ京都ゆかりのものが
多数、存在しています。
今回は、そんな『京ゆかりの言葉』を
いくつかご紹介させていただきます
・水菜(みずな)
お鍋の定番食材である水菜っ。
あのシャキシャキした食感がたまらないですよね~
この水菜は京都で誕生した野菜で
もともとは『水入り菜』と呼ばれていたそうです。
『水菜』という呼び名では
江戸時代初期に記された『毛吹草(けふきぐさ)』という書物の中で
山城国(やましろのくに・現在の京都府南部)の名産品として
紹介されているそうですよ。
ちなみに、新撰組ゆかりの地『壬生(みぶ)』では
この水菜の変種である壬生菜(みぶな)と呼ばれる野菜が栽培されていました。
こちらは壬生寺にある新撰組・近藤勇(こんどういさみ)像です。この他、壬生には八木邸や旧前川邸などもあります。壬生寺について詳しくは壬生寺 その1、壬生寺 その2の記事を、新撰組については新撰組ゆかりの地巡りをご覧下さい。
水菜は、葉がギザギザしているのに対して
壬生菜の葉は丸く、味はほのかに辛味があるのが特徴だそうです。
・おかき
もち米を原材料としたお菓子・・おかきっ!
一度食べると止まらず、思わずいくつも口に運んでしまいますよね~。
そんな『おかき』は京都で誕生した食べ物だったんですね。
そもそも『おかき』の原材料である餅(もち米)は
古代より、お供え物として用いられていました
『鏡餅』はこの名残であり
平安時代、宮中にて餅鏡(もちかがみ)と呼ばれ
神前にお供えしていたものだったんですね。
正月を過ぎ、1月11日には鏡開きを行いますよね。
もちろん、宮中でもこれを行っていたそうですが
鏡餅(餅鏡)に刃物を入れることを忌み嫌った事から
槌(つい・つち・物を打ちつける道具。今でいうハンマー)を使って
ヒビを入れ手で割り、それを焼いて食べたそうです。
こちらはかつて宮中のあった京都御所です。門の奥には紫宸殿(ししんでん)が見えます。
こうした事から『鏡餅の欠けたもの』や『手で掻いた(割った)餅』という意味で
『かきもち』と呼ばれました。
その後『かきもち』は、宮中言葉で『おかき』と呼ばれるようになり
現在では一般用語として定着したんですね。
※宮中言葉とは、その名の通り『宮中で使用されていた言葉』で、室町時代後期より、天皇の側に仕える女官によって使われ始めた言葉です。
・上京(じょうきょう)
地方から東京に出てくる事を『上京』と言いますよね
この上京という言葉は、かつて
京都にやってくる意味として使われていました!
※この他『上京』以外にも『上洛』と言ったりしていました。
ではどうして、現在は
東京に出てくる意味として使われているのでしょうか?
それは上京の『京』とは・・・天皇が住む場所(都)を指すからです。
なので、現在は天皇陛下が東京にいらっしゃるので
東京に出る事を上京と言うんですね
上京という言葉はその名の通り『京に上がる』という意味です。
高速道路や電車(新幹線)でも東京方面に行く事を『上り』というのは
この事に由来するものです
ちなみに、関西の漫才や落語を『上方漫才・上方落語』というのは
かつては関西方面に行く事を『上り』と言っていた名残だそうですよ
こちらは北野天満宮にある
露の五郎兵衛(つゆのごろべえ)の碑です。
彼は上方落語の祖と言われる人物だそうで
江戸時代初期の噺家(はなしか・落語家)です。
生前、北野天満宮の境内で、落語を行っていたそうですよ
・○回生(かいせい)
大学の学年を表す単位として使われる『○回生』ですが
これもなーんと京都発祥なのです!
最初に『回生』という言葉を使ったのが京都大学っ
なぜ学年で言わないのか?
これはもともと、京都大学と東京大学の進級制度で違いがあったからだそうで
創設時、東京大学の場合は
学年毎にカリキュラムが決まっていて
決められた単位を取らないと次の学年に進級出来なかったそうです。
しかし、京都大学の場合は
4年生になるまで留年が無かった為、入学何年目という意味で『○回生』が使われていたそうです。
こちらは京都大学の卒業生で僧侶の高口恭行(たかぐちきょうぎょう)氏が設計した十念寺の本堂です。独創的な形で、赤いドアに○が3つ交わった窓、建物も一部は円柱になっています。詳しくは十念寺の記事をご覧下さい。
この事から京大の影響を受けた西日本の大学は『○回生』と言う表現を使い
東日本の大学では『○年生』という表現を使う学校が多いそうですよ。
※進級制度は、もちろん各大学によって違います。
という事で、今回は京ゆかりの言葉を
ご紹介させていただきました。