今回ご紹介するのは・・・
京のユニークな地名です。
京都に残る、一味違った
ユニークな地名や町名をご紹介したいと思います
では、早速いってみましょう~。
・高田図子(たかだずし)
高田図子とは京都市伏見区にある地名です。
この図子(ずし・辻子とも書きます)というのは
京都独特のもので
分かりやすく言うと『○○通』と呼ぶほど大きな道ではない
細い通りを指す言葉なのです
※家と家の間を通るような細い道の事です。
似た言葉で『路地(ろじ・ろうじ)』というのがありますが
京都の場合
行き止まりの袋小路になっているような細い道を『路地』
大通りに繋がっている細い道を『辻子(図子)』と呼んだんですね。
そうして、こうした辻子(図子)にいくつか名前が付きました。
高田図子もその1つという事なんですね
ちなみに高田図子の近く
北へ100メートルほど行った所には
勝負事にご利益のある神様として有名な
藤森神社があるんですよ。
・一口(いもあらい)
普通であれば『ひとくち』って読んじゃいそうですよね
でも、これは『いもあらい』と読み
京都の地名の1つとして、今も残っています。
※京都府南部にある久世郡(くぜぐん)に『東一口(ひがしいもあらい)』『西一口(にしいもあらい)』と呼ばれるエリアがあります。
一口と書いて『いもあらい』と読まれるようになった
理由は諸説あるようですが
『忌み祓い』や『疱瘡(ほうそう・古来は『いもがさ』と呼ばれた)を祓う』
という事から『いもあらい』に転じたと言われています。
では、どうして一口という漢字に
『いもあらい』が充てられたのでしょう
それは、かつてこの辺りにあった集落が
三方(北・東・南)を巨椋池(おぐらいけ・昭和初期まで存在した湖)に囲まれて
一方しか入り口が無かった為
『一口』と表されるようになったんですね。
この漢字と、その場所で行われていたお祓いが融合し 一口(いもあらい)という地名が誕生したと言われています。
ちなみにかつて巨椋池の西側には
御牧(みまき・朝廷が管理する牧場)があったようで
ここから朝廷に献上した馬が
火災から宮中の人々を守ったという伝承が残されています。
これに感激した聖武天皇(しょうむてんのう・第45代)は、この馬を御牧に返し
玉田神社の神馬としたと言われているんですよ。
この事からも分かるように、玉田神社は
一口から南に200メートルほど下がった場所にある神社です。
※詳しくは、玉田神社の記事をご覧下さい。
・蹴上(けあげ)
見ての通り『蹴り上げる』から転じたもので
京都市東部、山科区との境目付近に残る地名です。
では、一体何を蹴り上げたのか!?
これについて解説したいと思いますっ。
このエピソードにゆかりのある人物が
牛若丸こと源義経(みなもとのよしつね)なんですね
彼が奥州へと向かう途中
この地で、義経にお供してくれた人々と別れを惜しんでいた時の事です。
平家の武士(関原与市・せきはらよいち)と従者9名が
義経の前を横切った際に
馬が誤って水溜まりの水を蹴り上げ 義経の衣服を汚してしまったんですね。
これに怒った義経が
・・・従者9名を斬り殺し、与市の耳や鼻を削いで追い払った
という伝説が残されています
もちろん、理由は本当にそれだけなのか分かりませんし
突然襲われたのかもしれませんが・・・
とにかく、その従者9名を切り殺したという伝承が
この地にはあるみたいですね。
※後に義経はその事を悔い、9人を弔う為に9体の石仏を東海道沿いに安置したと言われています。源義経につては源義経ゆかりの地巡りの記事をご覧下さい。
ちなみに蹴上と言えば琵琶湖疏水が有名で
近くには疎水の分線が流れ
疎水の分線が流れる水路閣(すいろかく・レンガ造りの疎水橋)です。この上を水が流れています。
桜や紅葉の名所として知られる
南禅寺があるんですよ。
※南禅寺について詳しくは、南禅寺 その1、南禅寺 その2の記事をご覧下さい。
・帷子ノ辻(かたびらのつじ)
帷子ノ辻は映画村で有名な太秦(うずまさ・京都市の西)にあります。
嵐電(らんでん・京福電気鉄道)の駅名にもなっているんですよ。
太秦と言えば・・
国宝第一号の弥勒菩薩半跏像(みろくぼさつはんかしいぞう)を安置する
広隆寺が有名ですよね
帷子(かたびら)とは着物を意味し
辻(つじ)は角(かど・交差点)の事を指す言葉なんですね。
この名前の由来になった人物というのが
檀林皇后(だんりんこうごう・嵯峨天皇の后)です。
彼女は少し変わった人物で
死後に自らの死骸を埋葬することを禁じ
道ばたに放置させたと言われています。
・・いわゆる『風葬』です。
※彼女は、野ざらしにされ、自らの体が腐乱しウジ虫が沸き、白骨化していく過程を絵師に描かせたんですね。
「あらゆるものは移り変わり、永遠なるものは一つも無い」
と、いう事を彼女は自ら示したそうです。
この時、彼女の亡骸は嵯峨野の山に放置されたそうですが
その道すがら
彼女が身にまとっていた経帷子(きょうかたびら・死装束)が 風で舞い上がり、落ちた場所(辻)があったそうで これが現在の帷子ノ辻だと言われているんですよ。
ちなみに彼女が建てたお寺と言われる『檀林寺』も
帷子ノ辻から3.5キロほど西に建っています。
※檀林皇后について詳しくは、檀林寺の記事をご覧下さい。
という事で今回は
京のユニークな地名をご紹介しました。
場所はコチラ↓
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