今回ご紹介するのは京都市北部、岩倉(いわくら)に建つ・・・

石座神社

石座神社(いわくらじんじゃ)です

神社や地名の由来ともなっている『いわくら』とは

かつて巨大な岩が

ご神体(石座明神)だったからなんですね。


石座神社石碑

この岩を磐座(いわくら)と呼び

崇めていたんだそうです。

『いわくら』とは『神様が宿る(座る)場所』

という意味があり古事記にも登場する言葉なんですよ


ちなみに、この際は『石位(いわくら)』という

漢字が当てはめられていますが

日本書紀では『磐座(いわくら)』という漢字が

使われているんですね。

この事から、当時より『いわくら』という言葉に対しては

様々な漢字が当てはめられていたと推測されます。

『いわ』には石・磐・岩

『くら』には座・蔵・倉

など、書物や伝承によって様々な漢字が使われているようです。


由緒書

石座神社が創建されたのは971年

このすぐ近くに建つ大雲寺(だいうんじ)の建立に伴い

鎮守社として石座明神を、この地に勧請したのが始まりなんですよ

※それまでは、ここから南に600メートルほどの距離にある山住神社に祀られていました。


火祭

そんな石座神社は『火祭』が行なわれる事でも知られています。

毎年、10月23日に近い土曜日に行なわれるこの祭は

大蛇退治の故事に由来するもので

2本の巨大な松明の炎が、夜空高く舞い上がります


この幻想的な火祭は『例大祭』の一環として行なわれるもので

松明が燃え尽きると

明け方(5時)に神輿を出し、境内を出発します

神輿は実相院や氏子町を1時間かけて練り歩き

山住神社(石座神社のお旅所)に向かいます


山住神社

こちらが山住神社です。例大祭ではこのように、神輿が一度、安置されます。


続いて昼過ぎ(14時)より、山住神社を出発し石座神社に戻って行くんですね。

※詳しくは例大祭 2012 朝神事(石座神社)例大祭 2012 昼神事(石座神社)の記事をご覧下さい。


拝殿

鳥居をくぐり、石段を上がると見えてくるのが

拝殿です。


一言神社

そして、右手奥には摂社である

『一言神社』が建っています。

祭神である一言主大神(ひとことぬしおおかみ)は

願い事を一言(1つ)だけ叶えてくれる神様と言われています。

※ちなみに、一言神社の総本社は奈良県御所市(ごせし)にある『葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)』です。


幕末までは、別の場所(現在地から北北東約1キロ)に

建っていたそうです。


その頃、この一言神社に足繁く参拝したのが

維新五傑の1人で公家の・・・

『岩倉具視(いわくらともみ)』です。


ちなみに、維新五傑は

『西郷隆盛(さいごうたかもり)』

元薩摩藩士で江戸無血開城を成し遂げた人物です。

『大久保利通(おおくぼとしみち)』

元薩摩藩士です。維新の三傑にも数えられる人物で、西郷隆盛や木戸孝允と供に、維新後の国作りに奔走しました。

『木戸孝允(きどたかよし)』

元長州藩士です。維新後は、版籍奉還(はんせきほうかん)や廃藩置県(はいはんちけん)を行った事で知られています。詳しくは桂小五郎ゆかりの地巡りをご覧下さい。

『三条実美(さんじょうさねとみ)』

攘夷派の公家であり、幕末期は京都を追い出された(八月十八日の政変)事もありましたが、維新後は太政大臣などを務めました。三条実美については妙法院の記事をご覧下さい。

そして岩倉具視を合わせた5人です。


一言神社

こちらに一言主大神が祀られています。ちなみに、例大祭では子供神輿に一言主大神の御霊が乗せられます。


岩倉具視は、この頃

約5年間の隠棲生活を

この岩倉でしていたんですね。


朝廷の立場を強めようと

公武合体(こうぶがったい・朝廷と幕府が協力体制を取る事)政策に

尽力した事がきっかけで

倒幕を企てていた尊王攘夷派から恨みを買います

※公武合体政策の1つに皇女和宮の降嫁などがあります。詳しくは粟田神社の記事をご覧下さい。


結果的に表舞台を一時、去る事となり

この岩倉の地へとやって来たのです。

※当時は天誅(てんちゅう・有力者を斬り殺すテロ行為)が行なわれていて、岩倉具視も命を狙われていたようです。


ちなみに、その後

孝明天皇が崩御し、明治天皇が即位すると

岩倉具視は政局に復帰し

それまでとは一転し、倒幕へと政策を推し進め

維新に尽力する事となりました。


維新後は岩倉使節団(いわくらしせつだん)として

アメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国などを回り

不平等条約の撤廃の交渉や

憲法作りに関する調査も行なったんですね

※期間にして1年10ヶ月にもおよぶ大変長いものとなりました。ちなみに、メンバーの中には、木戸孝允、伊藤博文、大久保利通などもいたんですよ。


こうした事が評価され

1951年には、500円札に肖像が描かれる事と

なったんですよ~。


この他にも、彼が設立した『日本鉄道(にっぽんてつどう)』によって

引かれた線路や、建てられた駅は

現在、JR東日本に引き継がれています


また、事実上の東京遷都以後

京都では葵祭が中断していましたが

岩倉具視の提言によって13年ぶりに復活したんですね。


こうして京都は活力を取り戻したと

言われています

本殿

こちらが本殿(八所明神と十二所明神)です。

向かって右側の八所明神に

石座大明神を含む8柱が祀られています。

※八所明神は、石座、新羅・八幡・山王・春日・住吉・松尾・賀茂の神様(明神)を祀っています。十二所明神はこれらに伊勢・平野・貴船・稲荷の神様を加えたものです。


ちなみに、かつては石座神社ではなく

『八所・十二所明神社』と呼ばれていたそうですよ。

これら2つの本殿は、1766年に再建されたもので

京都市の有形文化財に指定されています。


この他にも境内には様々な社が建っています。

『出雲神社』『貴船神社』『熊野神社』

『出雲神社』『貴船神社』『熊野神社

『稲荷神社』『鹿島神社』『香取神社』

『稲荷神社』『鹿島神社』『香取神社』

『愛宕神社』『猿田彦神社』

『愛宕神社』『猿田彦神社

となっています。


皆さんも聞き覚えのある神様がいるのではないでしょうか?


という事で今回は

京都市北部・岩倉に建つ『石座神社』をご紹介しました

場所はコチラ↓


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