こんにちは京子です!
今回ご紹介するのは
京都市伏見区にあるお寺・・・
長建寺(ちょうけんじ)です
朱色の竜宮門が印象的な長建寺は
京都で唯一、弁財天(べんざいてん)を本尊とするお寺です。
七福神の1人である弁財天は
琵琶を弾く姿が印象的な女の神様です
長建寺の弁財天は
『八臂弁財天(はっぴべんざいてん)』と言い
通常非公開となっていて
毎年、元旦〜15日にかけて公開されているそうですよ。
※八臂とは『8本の腕』という意味だそうです。
ちなみに、この長建寺のある伏見区の
中書島という場所には
かつて遊郭(花街)があったそうで
芸事などにご利益のある弁財天に
手を合わせに行く遊女達の参拝が絶えなかったそうです
※遊女とは、簡単に言うと舞妓さんのような芸事をする人から、ホステスさんなど男性へのサービスをする女性を指す言葉です。
こうした事から
別名『島の弁天さん』と呼ばれていました
境内には『糸桜』と呼ばれる、早咲きの枝垂れ桜などが咲いています。
※枝が細く糸のように垂れている枝垂れ桜という事から、そう呼ばれています。
本堂と桜をパシャリ。
境内には末社である飛龍大権現(ひりゅうだいごんげん)と摩利支尊天(まりしそんてん)の祠があります。摩利支尊天は軍神の女神とも言われ、武家に信仰されていた神様です。詳しくは禅居庵の記事をご覧下さい。
長建寺の起源についても
ご説明しますと
創建されたのは江戸時代初期です。
当時、伏見奉行であった建部政宇(たけべまさのき)が
中書島の開拓にあたり
即成就院(そくじょうじゅいん・現在の即成院)の塔頭であった
多聞院(たもんいん)を現在地である中書島に移し
弁財天を祀った事が起源とされ
建部氏の長寿を願うという意味で
『長建寺』と名付けられたそうです。
伏見はかつて伏見城があり
城下町として栄えましたが
1623年に廃城となった後は
商業都市へと生まれ変わりました
この時、港町として栄え
中書島に遊郭が誕生したというワケなんですね。
ちなみに、中書島遊郭は戦後まで続いたそうで
全盛期には400人もの遊女がいたと言われているんですよ!
こちらの手水舎には
伏見の名水の1つ『閼迦水(あかすい)』が沸いています
伏見の水は大変綺麗だった事から
酒どころとして発展したんですね。
※伏見の名水は、この他にも御香宮神社の御香水などが有名です。御香宮神社については御香宮神社 その2の記事をご覧下さい。
梵鐘と桜をセットでどうぞ。
ちなみに中書島という名前の由来についても
ご説明しますと
賤ヶ岳七本槍(しずがたけななほんやり)の1人である
脇坂安治(わきざかやすはる)にちなんだものです
※賤ヶ岳七本槍とは、豊臣秀吉と柴田勝家が戦った『賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)』において活躍し、秀吉から感状(賞状)が与えられた7人の武将を指す言葉です。
彼の役職でもあった中務小輔(なかつかさしょうゆう・官職の1つ)は
唐では「中書少郷」と書くそうで
この事から脇坂安治の事を『中書さん』と呼んでいたそうです。
周囲を流れる川にはいくつもの船が停泊したようです。これは江戸時代に使われていた船を止める為の杭です。
境内には福富稲荷と呼ばれる神社もありました。
そんな中書さんの屋敷が、この地に建っていた事から
中書島という名が付けられたんですね。
ちなみに、どうして島なの?と言いますと
地図で見れば一目瞭然ですが
四方が川に囲まれている為
地域住民から『島』という認識があったようです
そんな中書島に建つ長建寺の場所はコチラ↓