こんにちは京子です。
今回ご紹介するのは
4月3日に玉津岡神社(たまつおかじんじゃ)で行われました・・・
春季例祭(しゅんきれいさい)です
※毎年、神武天皇(じんむてんのう・初代天皇)が崩御した4月3日(旧暦3月11日)に行われます。
玉津岡神社は
綴喜郡井手町(つづきぐんいでちょう・京都府南部)にある神社で
540年に『下照比売命(したてるひめのみこと・神話に登場する神で大国主命の娘)』が降り立った所に
社を建てたのが始まりと言われています
大国主命(おおくにぬしのみこと)は
出雲大社(いづもたいしゃ)に祀られている神様です。
国譲りの神として知られていて
出雲の国(現在の島根県)を譲る代わりに
一番大きな社殿を建てて
自分を祀るように言った神様なんです
※大国主命について詳しくは、地主神社の記事をご覧ください。
境内には
橘諸兄(たちばなのもろえ・奈良時代)を祀った橘神社もあります。
彼は聖武天皇(しょうむてんのう)の補佐や左大臣を務め
万葉集(最古の和歌集)に短歌が収録されている人です。
※橘家は藤原氏についで古い天皇家の支流です。詳しくは、梅宮大社 その1の記事をご覧ください。
境内は小高い山の麓にあるので
そこから眺める井手町の景色はとても綺麗でしたよ
そんな玉津岡神社で行われる春季例祭は
五穀豊穣や国家安泰などを祈願する祭で
おかげ踊りが奉納されます
※おかげ踊りとは伊勢神宮に参拝する時に踊っていたものです。
それでは早速レポートしていきましょう。
春季例祭は10時より行われ
まず最初に本殿横で修祓(しゅばつ・お祓い)が行われます。
続いて本殿へ移動し神饌(しんせん・神様への奉げ物)をお供えします。
9人のお稚児と20人程の関係者で行われ
お稚児も上手に受け渡ししていました
お母さんもここぞとばかりに
巫女の服を着た娘の晴れ姿を撮影されていました
その後、祝詞(のりと・宣言)の奏上や玉串(たまぐし・神様に奉げる榊の枝)が供えられ
本殿での神事は1時間程で終了しました。
続いて本殿から少し離れた
遥拝所(ようはいじょ)で
『神武天皇遥拝式』が行われます
※神武天皇の命日なので拝むんですね。
神武天皇が祀られている
『橿原神宮(かしはらじんぐう・奈良県)』へ向かって拝む事により 町の繁栄や発展を祈ります
神事が行われている途中には
『さくらまつり』でおかげ踊りを披露していた
井手町民俗芸能保存会の皆さんが続々といらっしゃいます
※さくらまつりは、井手町が主催している祭で町内にある玉川堤防で模擬店などが開かれています。
神武天皇遥拝式の後
いよいよ『おかげ踊り』の奉納が行われます
※保存会の方が70名程、舞殿の周りで円になり踊ります。
おかげ踊りは
江戸時代に流行った『おかげ参り』の時に踊られていたものです
おかげ参りとは集団で伊勢神宮へ参拝する事です。
『おかげ(御利益)』が頂けるという事から
「1生に1度は伊勢に参拝したい♪」と言われ
1830年には数ヶ月間で500万人が参拝に訪れる程、大流行になったそうです
※あの「ええじゃないか ええじゃないか」というフレーズで有名な『ええじゃないか』は、おかげ踊りの事なんですよ。
手には扇子を
頭には菅笠(すげがさ・竹や檜で作られた帽子)を被り
美しく踊る姿は
参拝者の皆さんを楽しませていましたよ
20分程、おかげ踊りが奉納されると
今度は、扇子をたたみ井手町で踊られていたという
『玉川音頭』が奉納され
2時間に及ぶ春季例祭は終了しました。
おかげ踊りと玉川音頭は動画でご覧ください。
そんな春季例祭が行われた玉津岡神社の場所はコチラ↓
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