こんにちは京子です!
今回ご紹介するのは
天台宗五門跡(てんだいしゅうごもんぜき)です
『門跡』とは、門跡寺院の事で
皇族や摂家が出家するお寺をそう呼びます。
その中で
天台宗の5つの門跡寺院の事を『天台宗五門跡』と呼ぶんですね。
天台宗について少し説明しますと
平安時代の高僧で
遣唐使でもあった『最澄(さいちょう)』を祖とする宗派で
彼が唐にて8ヶ月間の修行の後に
日本にて延暦寺を開山し、その教えを広めました。
※この事から延暦寺は天台宗の総本山とされています。
では『天台宗五門跡』をご紹介していきますね
青蓮院(しょうれんいん)
最澄が延暦寺を開くにあたり
比叡山の山頂に作った、僧侶の住居『青蓮坊』を起源とするお寺です
堂内には群青(ぐんじょう)で描かれた不動明王
通称『青不動』がある事でも知られています。
鳥羽上皇の第7皇子『覚快親王(かくかいしんのう)』や
伏見宮家(ふしみのみやけ・かつてあった宮家の1つ)などの皇族が
入寺しているんですよ
※青蓮院について詳しくは青蓮院 その1 、青蓮院 その2の記事をご覧下さい。
ちなみに
出家した親王(天皇や皇后の次に、皇族男子に与えられる最高の位。)』の
事を『法親王(ほっしんのう)』と言います
三千院(さんぜんいん)
京都市北部の大原に位置し
遅咲きの桜や紅葉の名所でも知られる三千院は
最澄が開山した寺院であり
こちらも同様に
比叡山に建てたお堂を起源とします
過去には
惟喬親王(これたかしんのう・文徳天皇の第1皇子)
最雲親王(さいうんしんのう・堀河天皇の皇子)
護良親王(もりよししんのう・後醍醐天皇の皇子)などが出家しています。
※三千院について詳しくは三千院、三千院の桜、三千院の紅葉の記事をご覧下さい。
妙法院(みょうほういん)
後白河法皇も住職を務めた寺院で
三十三間堂などがある東山に位置しています
幕末期には
長州藩と三条実美(さんじょうさねとみ)らが
密議を交わしたお寺としても知られています。
※京都から追放された尊王攘夷派の公家7人が、この密議を交わし、長州へと落ち延びました。これを『七卿落ち』と言います。
以上、これら3つの門跡寺院を『天台宗三門跡』とも呼びます。
・・では残り2つもご紹介します。
曼殊院(まんしゅいん)
比叡山のお堂を起源とし
1656年に、現在地である京都・一乗寺に移築されました。
初代住職である『是算(ぜざん)』は菅原家出身の
お坊さんなんですよ
※菅原家といえば、学問の神様である『菅原道真』が有名ですよね。
これまでに
後花園天皇の弟である
伏見宮貞常親王(ふしみのみやさだつねしんのう)の息子である
慈運親王(じうんしんのう)などが入寺しています
毘沙門堂(びしゃもんどう)
正式名称を出雲寺(いずもじ)と言い
京都・山科に位置するお寺です
本尊である毘沙門天像は
最澄自らの手により彫られたと言われています。
毘沙門堂は鎌倉時代に、一度衰退しますが
江戸時代、徳川家康のフィクサーで知られる『天海(てんかい)』によって再興され
その後、後西天皇(ごさいてんのう)の皇子である
『公弁親王(ごうべんしんのう)』が入寺し
以後、門跡寺院となりました。
という事で天台宗五門跡を紹介させていただきました~っ
それぞれのお寺について、詳しくはリンク先をご覧くださいね。
そんな天台宗五門跡の場所はコチラ↓
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