こんにちは京子です!
今回ご紹介するお寺は・・
安祥院(あんしょういん)です
942年、朱雀天皇の勅願によって建てられたお寺で
もとは長岡に程近い乙訓郡(おとくにぐん)にありました。
その後、何度か荒廃・再興を繰り返し
1725年に木食上人として知られる『養阿(ようあ)』によって
清水寺に近い東山へと移転されました
※木食とは、穀物を断ち、木の実を食べて修行に励む事です。こうしたお坊さんを木食上人と呼びます。
提灯には『日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)』と書かれています。安祥院は別名『日限さん』とも言われているんですよ。その理由は後ほど、ご説明します。
養阿は武士の子として生まれますが
24歳で仏門に入り、高野山で木食修行を行った後
全国を行脚し、様々なお寺や墓地を回り
さらに修行を重ね『安祥院』を再興したんですね
この他に
彼は道路工事などの社会事業にも貢献した事で知られ
境内には
京と山科を繋ぐ『日ノ岡峠(ひのおかとうげ)』の工事に用いられた
車石(くるまいし・石で作られた荷物を運ぶ為のレール)が残されています
そんな養阿上人は1763年に亡くなり
安祥院に埋葬されました。
本堂に安置されている本尊・阿弥陀如来像は
養阿の自作と伝えられるもので
『洛陽六阿弥陀巡り』の1つにもなっています
洛陽六阿弥陀巡りとは、江戸時代中期に始まったもので
京都市内の阿弥陀如来像を祀る6つの寺を巡り
参拝します。
1.真如堂
2.永観堂
3.清水寺
4.木食寺
5.安養寺
6.誓願寺
定められた功徳日に、これら6つの寺院を回って
無病息災などを祈願します
1~6まで順番通りに巡礼する事が
決まりとなっているそうですよ~。
養阿自筆の大日三尊光明真言(だいにちさんそんこうみょうしんごん)碑です。よく見ると、円の中に光明真言(23文字の梵字)が書かれています。
境内の西側には『地蔵堂』が建っています。
安置されている日限地蔵(ひぎりじぞう)は
日を限って(参拝者が自分で定めた日数で)祈願し、参拝出来る
お地蔵さんです。
この事から
安祥院は通称『日限さん』とも呼ばれているんですよ
地蔵堂のアップです。この中に日限地蔵が安置されています。
地蔵尊は高さ2.6メートルの巨大なもので
こちらも養阿の自作と伝えられています
そして境内の墓地には、勤王の志士として知られる
『梅田雲濱(うめだうんぴん)』の墓もあります。
若狭国小浜藩(わかさこくおばまはん)の儒学者であった雲濱は
大津や京都で講師として活躍します
正門前にも『梅田雲濱先生墓』と書かれた石碑が建てられていました。
しかし、当時の藩主に対して
海防策の意見書を出した事が藩政批判とみなされ
藩籍を剥奪され、浪人となってしまいました
その後、ペリーが来航した事をきっかけに
日米通商条約の調印反対運動や攘夷運動を行い
幕府を激しく批判したんですね
これが原因で
大老・井伊直弼による『安政の大獄』で牢獄行きとなり
取り調べ中に病死したそうです。
一説では拷問による傷の悪化が原因とも言われているんですよ
そんな梅田雲濱が眠るお寺で
日限さんとして知られる『安祥院』の場所はコチラ↓