こんにちは京子です!
今回ご紹介するのは
源義経ゆかりの地巡りです
歴史の人気者『源義経』にまつわる
京都の様々な名所をご紹介したいと思います。
まずは
源義経について簡単にご紹介したいと思います。
彼は源義朝(みなもとのよしとも)の子供で
鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝(みなもとのよりとも)の弟でもあります
義経は悲劇のヒーローとして描かれる事が多く
兄の頼朝と協力し、平家を滅ぼす活躍をします。
しかし、兄弟仲が不和となり頼朝に追われる身となります。
最期は奥州藤原氏の
藤原秀衡(ふじわらひでひら)の息子『泰衡(やすひら)』に
攻められ31歳という若さで自害しました。
ちなみに
弱者に対し、えこひいきしてしまう『判官贔屓(ほうがんびいき)』という言葉は
義経に人々が同情を寄せた事から生まれたんですよ。
では義経ゆかりの地を紹介したいと思います。
義朝と常盤御前(ときわごぜん)の間に生まれた義経。
まずは生誕の地へと行ってみましょう。
大徳寺の北側(紫竹・しちくと呼ばれるエリア)に源義朝の別荘があったそうで
この地で義経は生まれました。
石碑がいくつかあるので、それをご紹介したいと思います
『牛若丸誕生井(うしわかまるたんじょうい)』
義経の産湯に使われた井戸の跡地です。
※牛若丸とは、義経の幼名です。
『牛若丸胞衣塚(うしわかまるえなづか)』
誕生井の右手にあるのは胞衣塚です。
義経のへその緒と胎盤が埋められてあると伝えられています。
『源義経産湯井遺址(みなもとのよしつねうぶゆのいいし)』
さらに少し南にも、もう1つの産湯井戸跡があります
あたり一帯は父・義朝の屋敷があった場所とされ
義経にまつわる井戸が点在しているみたいですね。
さて、源平争乱の時代
『平治の乱』において、幼くして父を失っている義経は
仏門に入るべく京都の鞍馬(くらま)へと旅立ちます
『鞍馬寺(くらまでら)』
この頃
遮那王(しゃなおう)と名乗っていた義経は
仏門へ入るどころか
多くの武術を学んだと言われています。
『鬼一法眼社(きいちほうげんしゃ)』
義経に武芸を教えたと言われる『鬼一法眼』が祀られています。
彼は、武芸の達人であり
陰陽師だった人物です。
※彼と義経のエピソードについて、詳しくは鞍馬寺 その1の記事をご覧下さい。
『川上地蔵堂(かわかみじぞうどう)』
剣術修業の傍ら義経が手を合わせていたと伝えられ
ここには彼の守り本尊(生まれ年によって決まる本尊)が祀られていたそうです。
『義経公供養塔(よしつねこうくようとう)』
1940年に義経を偲んで建てられた供養塔です。
この他にも鞍馬寺周辺には
義経が喉を潤した『息つぎの水(いきつぎのみず)』や
『背比べ石(せくらべいし)』などもあります。
『貴船神社(きぶねじんじゃ)』
鞍馬で修行中だった義経が平家討伐の祈願に訪れていたと言われています
では次に
義経と弁慶に関する場所をご紹介します。
『五条大橋(ごじょうおおはし)』
2人が戦った場所として知られています。
橋の西詰には2人の
決闘の様子をうかがい知る事が出来る
銅像が建っているんですよ。
ちなみに現在の五条大橋は秀吉によって移動されたようで
本来の場所には『松原橋』が架かっています。
義経と弁慶に関しては
創作が多聞に及ぶお話が多く、2人が出会った場所や
決闘した場所も様々な説(と、いうかお話?)があります
『五條天神宮(ごじょうてんじんぐう)』
義経記(ぎけいき)によれば
五條天神宮の近辺で
2人が初めて出会ったと記されています。
※義経記とは、義経や義経と関わりのある人達を中心に描いた軍記物語です。
弁慶は1000本の刀を集めようと
毎晩、京の町を徘徊しては刀狩りを行っていました。
999本を集め
残す1本となった弁慶は
ここで笛を吹き歩く牛若丸を見つけ
腰につけた刀を奪う為に勝負を挑んだんですね
『清水寺(きよみずでら)』
義経と弁慶の最終決戦が行われたと言われているのが
清水寺の『清水の舞台』です。
敗れた弁慶は、義経に忠誠を誓ったと言われています。
境内には弁慶にまつわるもの(錫杖と鉄下駄)も置かれていますよ。
その後
奥州藤原氏を頼り、奥州(岩手県)へと旅立ちます。
※『義経記』によると尾張国にて元服し、源氏ゆかりの通字(とおりじ)である『義』と、源氏の祖と言われる源経基の『経』を合わせ義経と名乗りました。源経基に関しては六孫王神社 その1をご覧下さい。
『首途八幡宮(かどではちまんぐう)』
義経が奥州へ向かう際に立ち寄ったと言われる神社で
道中の安全を祈願しに参拝したそうです。
首途(かどで)とは『出発』の意味で
その名の通り義経の旅の首途を見送った神社です。
そして
最後にご紹介するのは
『神泉苑(しんせんえん)』
平安時代、雨乞いの神事が度々行われていた場所です。
ここで義経は静御前(しずかごぜん)と出会うんですね
彼女は雨乞いの為の白拍子として神泉苑に来ていたんですね
99人の白拍子が舞っても雨が降らず
100人目の静御前が舞を奉納したところ見事に雨が降ったそうで
これに感動したのでしょうか
義経は彼女に一目惚れをしたと言われています
京の名水である左女牛井(さめがい)は源氏の邸『六条堀川邸』にあった井戸水です。義経はこの地で静御前と過ごしました。
という事で
今回は源義経にまつわる京の名所をご紹介させていただきました。
場所はコチラ↓
より大きな地図で 源義経ゆかりの地巡り を表示