京都検定過去問 その64
こんにちは京子です。
今回も引き続き『京都検定過去問』をお送りします♪
みなさん気軽にチャレンジしてみてください
では早速1問目です。
【問題】
相国寺境内に住んでいた狐が、ある時、お茶の宗匠に化けてお手前を披露したことから( )と呼ばれた。
ア.利休狐
イ.宗純狐
ウ.宗旦狐
エ.宗守狐
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.宗旦狐
宗旦とは茶人『千宗旦(せんのそうたん)』の事です。
彼は利休の息子であり
現在も残るお茶の家元『三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)』の祖と言われている人物です。
境内に伝わる話によると
いたずら好きな狐は宗旦に化けて
夜ごと近所の茶人の宅へ行き茶を飲み
菓子を食べていたそうです
最初は気付かなかった人たちも
徐々に気付き始め
この宗旦に化けた狐を宗旦狐と名付け
皆で一緒に化かされ遊んだと言われています。
境内には宗旦稲荷や宗旦狐の銅像もありますよ~。
詳しくは相国寺の記事をご覧下さい。
では次の問題にいってみましょう★
【問題】
東本願寺の別邸である渉成園は誰から与えられた地に造られたか。
ア.徳川家康
イ.徳川秀忠
ウ.徳川家光
エ.徳川家綱
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.徳川家光
1641年、家光から東本願寺の宣如(せんにょ)というお坊さんに
土地が寄進された事がきっかけで作られた庭園です。
※場所は東本願寺から約150メートル東にあります。
大きさは約200メートル四方の正方形で
庭園内は池を中心とした景観を楽しむ事の出来る
池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)となっています
詳しくは渉成園の記事をご覧下さい。
では、3問目にいってみましょう★
【問題】
わが国最初の両切りたばこ「サンライス」を発売、煙草王といわれ、円山公園に長楽館を建てたのは誰か。
ア.高木文平(たかぎぶんぺい)
イ.村井吉兵衛(むらいきちべえ)
ウ.浜岡光哲(はまおかこうてつ)
エ.稲畑勝太郎(いなばたかつたろう)
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.村井吉兵衛(むらいきちべえ)
1864年(文久4年)に京都の煙草商の次男として生まれた吉兵衛は
1890年に両切りたばこ『サンライス』を発売します
その4年後には『ヒーロー』が発売され、これが日本で大ヒット
※1904年には国内生産日本一を記録する事となります。
その後、煙草産業が民営から国家による専売制に切り替えられ
吉兵衛は莫大な補償金を手にしたと言われています。
その頃に建てられた長楽館は
当時『鹿鳴館(ろくめいかん・政府によって東京に建てられた洋館の社交場)』と並び
日本を代表する迎賓館だったんですね~。
ちなみに現在は喫茶やホテルとして活用されています。
詳しくは長楽館の記事をご覧下さい。
では、最後の問題です。
1級からの出題になりますので選択問題ではありません。
ズバリでお答えくださいね★
【問題】
徳川家康が豊臣家を滅ぼすために「大阪冬の陣」の口実に利用したといわれる、方広寺の梵鐘(重文)に刻まれている8文字の字句は何か。
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
国家安康 君臣豊楽
『方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん)』として語り継がれている
有名なエピソード。
当時、家康は江戸に幕府を開きましたが
まだ世の中には秀吉の家臣たちで溢れていた時代であった為
秀吉の息子『秀頼』は気がかりな存在だったんですね。
そんな中、豊臣家を滅ぼす事を決意し事件を起こします
家康は
秀頼によって再建された方広寺にある梵鐘に刻まれた
『国家安康 君臣豊楽』の文字を見て
「家康の名前を二分し豊臣を君主とするという意味ではないのか!?
徳川を滅ぼし、豊臣の繁栄を願うとは何事だ!!」
と・・・難癖をつけたのです。
これは完全な言いがかりだったみたいですね。
※国家安康 君臣豊楽という文字は他の鐘や日常でも普通に使われている言葉だった事からもあきらかです。
しかし
こうして強引に大義名分を手に入れた家康は
豊臣家を滅亡させるべく『大阪冬の陣』をしかける事となったのです。
という事で今回も4問出題させていただきました♪
みなさんは何問正解されましたか?