こんにちは京子です♪

さて、本日ご紹介するのは

京都市中京区にある

『男女の縁切り』で知られる・・・

法雲寺の入り口

法雲寺(ほううんじ)です!


こま札

平安時代、この地には関白・摂政であった

藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の邸宅があったと伝わっていて

その後、法興院(ほうこういん)という寺院が

建ったようですけれど廃絶してしまったそうです


室町時代後期になると

源蓮社清善(げんれんじゃせいぜん)というお坊さんが

近くに草庵を結んで、1615年に清久(せいきゅう)が

そこにお堂を建てました


これが法雲寺の起こりだと伝わっているんですね


ちなみに藤原兼家と言えば
自分の出世の為に花山天皇
(かざんてんのう:第65代天皇)を
巧みに操って、出家させた人物として知られ
これによって一条天皇
(いちじょうてんのう:第66代天皇)が即位し
兼家は念願の摂政に就任したんだそうです


この頃の時代は、藤原氏の他氏排斥が一段落し

身内同士の争いが起こっていた時期でもあります。


そんな兼家には、兄・兼通(かねみち)が
いたんですけれど、兄である兼通(かねみち)を出し抜いて出世していたので
2人の兄弟仲は最悪だったそうです


浄土宗法雲寺石碑

法雲寺は浄土宗の寺院になります。

河原町通り側の法雲寺

ちなみに京都には法雲寺が2つありますが、今回ご紹介しているのは河原町通り側の法雲寺です。


そんな中、兄・兼通は

病気で危篤状態となってしまうんですね~


その時、兼通の邸宅に向かって来るある一団があったそうで

それは、すぐに弟の兼家だとわかります


兄の兼通は

「仲の悪いまま長年過ごしたが
さすがに兄の余命が短いと知って
見舞いに来たのだろう!」

と思い、急いで身なりを整え

弟を向かい入れる為、病床で待っていたそうですよ


けれど何故か一向に
弟は訪ねて来ないではありませんか


なんと弟・兼家は

兄・兼通の邸宅をすでに通り越して

内裏(御所)へ向かっていたんですね~


これに恥をかかされたと兼通は怒り
急いで装束に着がえ
御所へと向かいました


一方、弟の兼家は

兼通がもうすでに亡くなったと伝え

天皇と次の役職に関して話している始末・・・


そこに、怒り狂った兄の兼通が現れ

「私の最後の除目(じもく・官を任命する事)
を行いにやってまいりました!」

と、言って、弟の好きなようにはさせてたまるかと

もう立っているのもままならない中

関白に藤原頼忠を任じ、 兼家の職を取り上げたそうです


危篤の状態であったにもかかわらず除目をやり遂げ

兼通はまもなく亡くなったそうです


怒りだけが彼の身体を突き動かしたという

そんなエピソードが残っています


こちらは本堂です。

本堂

本堂


本堂の瓦には『水』の文字が書かれていました。

瓦には『水』の文字

冒頭でも触れましたように、法雲寺は『男女の縁切り』

有名な寺院なんですけれど

その縁切りのパワーの源になっているものがこちらの


菊野大明神

菊野大明神

菊野大明神(きくのだいみょうじん)です。


菊野大明神のご神体(神様が宿る場所)と
されているのが『縁切り石』で
これは『百夜通い(ももやがよい)』で有名な
深草少将(ふかくさしょうしょう)が腰掛けた石といわれています


彼は、絶世の美女と言われている

平安時代の歌人『小野小町(おののこまち)』

恋をしていた男性なんですね


菊野大明神提灯

提灯


少将の愛情は凄かったらしく、小町から

「百夜(100日の間)、毎日私の元へ通い続けてくれたら一緒になってあげてもいいわよ、オホホホ♪」

と言われ・・・毎夜、山を越えて通っていました


これが有名な百夜通いの逸話です!

※2人のお話に関して詳しくは、欣浄寺の記事をご覧下さい。


小町へ会う為に通った参道の途中にあったのが

『縁切り石』だったそうで

毎夜、その石に腰掛け

ひとときの休息をとっていたようです。


さて、そんな百夜通いの最終日。

100日目は雪の日だったそうです。

それでも

「今夜、通えば小町は
自分に振り向いてくれる!」

そう思い、疲労でいっぱいでありながらも

小町のもとへ向かいます


けれど、その日は
稀に見る大雪だったんですね


そして、100日目にして深草少将は

・・・山中にて凍死してしまったとされています


残り一夜という所で
思いを果たせなかった彼の無念や怨念が
石に宿っているというワケなんですね


この事から、この石には

男女の縁切りのご利益があると信じられています


1788年に、ここで火災が起こり、お堂が全焼した際

どこからともなく山伏が現れ

「この下に霊石があります。
住職よ、それを見つけて祀りなさい。」

と、言われ、その通り掘り返してみると

あら不思議!霊石が本当に出てきたんですね。


これが現在の『縁切り石』なんですよ


縁切りパワーがすごい為、婚礼の際には
菊野大明神の側は通ってはダメ!
という風習まであるそうです

※恋人や男女間の縁切り以外には、ご利益は無いそうです。


こちらは、堂内に飾られている絵馬です!

絵馬

絵馬

着物を着た女性の絵となっており

飾られているのは、どれも同じ絵でした


菊野尊天

菊野尊天と書かれています。


ちなみに祠の周りをぐるっと一周しながら
縁切りを願えば、より叶い易くなる
と、言われています


20年ほど前までは願掛けの際に

髪の毛を一緒にお供えする風習があったそうで

祠に髪の毛がグルグルに巻きつけられていたり

恨みのこもった願書が何枚も貼られていたり

五寸釘で打ち付けられた、わら人形が

あったりもしたそうです


ちなみに京都の縁切りスポットは

この他にもいくつかありまして

安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)や

鉄輪井がある命婦稲荷神社(みょうぶいなりじんじゃ)

橋姫神社(はしひめじんじゃ)、野宮神社(ののみやじんじゃ)と

いった所が知られています!

※詳しくは、京の縁切りスポット巡りの記事をご覧下さい。


縁を切らせたい、縁を切りたい

そんな方は是非一度参拝してみてはいかがでしょうか


こちらは門前に建てられている

「久坂玄瑞 吉田稔麿 等寓居跡」「此南西 吉田稔麿所縁 塩屋兵助宅跡伝承地」と刻まれた石碑

『久坂玄瑞 吉田稔麿 等寓居跡
(くさかげんすい よしだとしまろ などぐうきょあと)』

『此南西 吉田稔麿所縁 塩屋兵助宅跡伝承地
(このなんせい よしだとしまろゆかり しおやへいすけたくあとでんしょうち)』

と、刻まれた石碑です


2015年(平成27年)7月に建立されたものなんですね♪


法雲寺は、長州の吉田松陰(よしだしょういん)の

弟子の中で特に優れた者として

松門四天王(しょうもんしてんのう)に数えられた

久坂玄瑞や吉田稔麿等が

謹慎生活をした場所でもあるんですよ。

※残りの人物は、高杉晋作(たかすぎしんさく)、入江九一(いりえきゅういち)です。


そんな法雲寺の場所はコチラ↓


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