こんにちは、京子です♪

金曜日は恒例の京都検定過去問シリーズ。

年末に行われる京都検定の試験に向け

本日も過去問をとりあげ、写真付きで解説して

行きたいと思います。

まず、1問目はコチラ♪


【問題】

細川勝元(ほそかわかつもと)が創建した(  )は、15個の石を配置した枯山水の石庭で知られる。


どうでしょうか?

(   )にはお寺の名前が入りますよ~!!

答えは↓にスクロールして下さい。

(・∀・)ノシンキングタイム



・・・



・・・



・・



では、答えですっ。

【答え】

龍安寺(りょうあんじ)

では、解説していきましょう。


まず、この細川勝元って誰なのか??

彼は室町時代の武将のひとりです。

室町時代に起こった京の戦と言えば・・・

応仁の乱(おうにんのらん)ですよね!


応仁の乱とは

室町幕府の次期将軍の後継者問題が

きっかけになった乱で

当時の室町8代将軍『足利義政』は

正室(奥様)の日野富子との間に

子供は恵まれませんでした。


あ、ちなみに足利義政と言えば・・

銀閣寺(慈照寺)を建てた将軍さんですよ。


2人の間に子供がいなかった為

次の将軍は弟の義視(よしみ)に譲る事を決意し

話を進めていた矢先…


富子に義尚(よしひさ)が誕生したのでさぁ大変!


次の将軍を誰にするのかということで、後継者争いが起こりました。

彼女が政権の実力者である山名宗全を味方につけると

義視も管領の細川勝元を付け対抗

日野富子・山名宗全チーム(西軍)

VS

義視・細川勝元チーム(東軍)

と別れ、京の町に争いが起こり

後に応仁の乱へと発展します。

これが簡単な応仁の乱のあらましです。

ちなみに、西軍が置いた陣地は、『西陣』として

名前が残り、あの有名な西陣織発祥の地となりました。

じゃぁ東軍(義視・細川勝元チーム)はドコに陣をはったのか

と、いうと・・・

真如堂』というお寺のあたりだと言われているんですね。


結果的には

山名宗全、細川勝元の両名が死んだことを期に

実の息子の義尚に将軍は決定します。


さて、さて。

お話が少し脱線しましたけれど

そんな細川勝元が建てた龍安寺

ここにある枯山水の庭園というのがコチラ


こちらが、問題にもあります

15個の石を配置した枯山水の石庭です。

別名『七・五・三の庭』とも言われ

東から7つ、5つ、そして3つと配置されているんですね。


この方丈前に広がるお庭。

石の配置には少し趣向が凝らしてありまして

(・∀・)ノどのアングルから見ても、15個全てを一度に見ることができないのです!

どの角度から見ても

どれかの石が別の石の後ろに隠れちゃうように配置されてるんですね。


『15』っていう数字は、十五夜(つまり満月)ともいいますが

『完全』を表す数字だと言われています。

ですが、どこから見ても完全であるはずの石が

一度に見れない『不完全さ』を表現しているんですよ

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