こんにちは京子です。

さて、本日ご紹介する神社は

新熊野神社

熊野神社(いまくまのじんじゃ)です。


この、新熊野神社京都3熊野のひとつになります。

新熊野神社

ちなみに、京都3熊野

熊野神社

熊野神社

熊野若王子神社

になります。


平安時代、天皇家の中で流行った「熊野詣(くまのもうで)」

紀伊半島南部、和歌山と三重の県境にある

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社という熊野三山を参拝するものなんですけど

これはさすがに遠い~という事で

京都に熊野の神様を持ってこよう!という理由で作られたのが

京都3熊野になるんですね。

※熊野詣についての詳しい記事は熊野若王子神社の記事をご覧下さい。


新熊野神社

さて、新熊野神社はいつ作られたのかと言いますと・・・

平安時代末期、1160年。

後白河法皇(ごしらかわほうおう)によって建てられました。


その際には、わざわざ熊野から土や木材を持って来たり、海岸の石を巻いたりと

神様を勧請し、再現するのにかなり手の込んだ建設がされたそうです。

紀州にあった熊野の神社を『昔』とし

京都に持ってきた、新しい熊野の神社を『今』と当時は考えられたので

新熊野と書いて「いまくまの」と呼ばれた事が由来だそうです。


新熊野神社

さて、こちらの提灯には

熊野の神使である八咫烏(やたがらす)が描かれています♪


八咫烏に関しては後ほどお話させていただきますね。


新熊野神社

そして、正面鳥居の側には『さすり木』と呼ばれる、幹がひとつ

これは何かと言いますと、新熊野神社のご神木である楠(クスノキ)!

この一部を切り出して作られたものだそうです。


お腹の悪い方はこれをさすると良いと言われているんですよ~。

え?どうしてかと言うと

新熊野神社

このご神木を植えたのも後白河法皇だそうで、当時これを植えると

腹痛の病が治まったという古事に基づいています。


では、そのご神木をご覧頂きたいと思います♪


実は神社の外からでも、とーっても目立つ巨大な楠。

新熊野神社

『樟龍弁財天(しゅうりゅうべんざいてん)』と提灯に書かれたこの奥に、楠はあります。


新熊野神社

お待たせしました。


大楠と呼ばれている、この巨大な楠。


高さは、20メートル!境内の外からでも、充分に目立っちゃってます。

もちろん、これも熊野から移植されたもので

現在は、京都市指定の天然記念物に指定されています。


樹齢は900年にもなるですね~♪

ちなみに、お腹以外にも安産のご利益があると言われています。


高倉天皇は、妻である建礼門院 徳子(けんれいもんいんとくこ)の出産に際し

祈願した事に由来しています♪

※平清盛の娘でもある建礼門院 徳子に『長楽寺』の記事をご覧下さい。


新熊野神社

こちらは拝殿です。この奥の本殿に祭神、熊野牟須美大神(くまのむすびのおおかみ)が祀られています。これは伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の事だそうですよ、


さて、では絵馬も見ていただきましょう~。

新熊野神社

八咫烏(やたがらす)と、後ろには楠(大楠)が描かれています。


初代天皇である神武天皇を熊野の山で、導いた神の使い。

足が三本ある、この烏は

日本サッカー協会のシンボルマークにも使われている事で有名ですよね。


新熊野神社

これは曼荼羅図になります。熊野本宮大社の『熊野本宮八葉曼荼羅』を元に描かれているそうで、これを模して境内が作られているそうです。


新熊野神社

境内には、熊野古道(くまのこどう)まであるんですよ??


熊野古道とはちなみに、紀伊半島にあります

熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる道の事で

世界遺産にも指定されているんですね。


京都の熊野にも、『熊野古道入口』と書かれた石碑がありました。

新熊野神社

この先は、階段になっていまして

登った先には

新熊野神社

後白河法皇の像がありました。


境内にあるこの道には

『那智の滝』の模型なんかも一緒に飾ってありましたよ♪


新熊野神社

そして、こちらが京都の熊野古道の出口になるのでしょうか??


それにしても、白河上皇により始められた熊野詣。


どうして熊野にこれだけこだわったのでしょうか??

白河上皇は院政を開始した人で自分の影響力があるものを作りたかったのではないでしょうか。


天皇という立場だと、面倒なので

院政として、後ろで天皇を操る事を考えた人ですからね。


しかし、そんな白河上皇でもどうにもならなかったのが

①賀茂河の水

~賀茂河(鴨川)の水の氾濫

②双六の賽

~サイコロの目の事ですね、賽の目は自由に振れないって事です。

③山法師

~当時、都で比叡山延暦寺の僧兵(僧侶のカッコをした武士)がかなり暴れていたそうです。

だったと言われています。(天下三不如意)


この③に注目してみると・・・

院政をした上に仏門にまで入った白河上皇でしたけれど

宗教勢力には手こずっていた事が伺えます。


ここで、それまでの既存の宗教勢力に対抗するものを作りたくて

神話にも数々登場する熊野という場所にスポットを当てたのではないでしょうか??


上皇の地位を確たるものとする為に

宗教と結びつく必要があったけれど

京都や奈良だと、邪魔が多いし、藤原氏や、僧兵、お坊さんの

影響力がハンパないので、

新しく熊野という地へ出向いたのかもしれませんね


そんな新熊野神社の場所はコチラ↓


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