メモ2016-04-02
テーマ:お寺

日野誕生院

今回ご紹介するのは

京都市伏見区の日野(ひの)にある


日野誕生院(ひのたんじょういん)


日野誕生院(ひのたんじょういん)です!


近くには法界寺(ほうかいじ)が

あるエリアなんですよ~


日野誕生院は、浄土真宗
(じょうどしんしゅう)の
本願寺(ほんがんじ)派の寺院で
この地は親鸞(しんらん)の
誕生地でもあります


「親鸞聖人ご誕生之地」と刻まれた石碑

「親鸞聖人ご誕生之地」と刻まれた石碑


親鸞と言えば、鎌倉時代のお坊さんで

言わずと知れた浄土真宗の宗祖ですよね


けれど浄土真宗は親鸞の入滅後
弟子達によって確立されたものなんです。
親鸞の生きていた時代には
浄土真宗は、まだ無かったんですね。


親鸞は、自ら改宗する意思は無く

法然(ほうねん)の教えである

浄土教(じょうどきょう)の教えを継承し

高めていく事に尽力したといわれているんです


親鸞について詳しくは、後ほどご紹介しますね


日野誕生院の説明書

日野誕生院の説明書


さて、日野誕生院は、文化年間(1804~1818年)に

西本願寺(にしほんがんじ)の

19世である本如(ほんにょ)がこの地を調べ

日野一族の下級貴族で、親鸞のお父さんでもある

日野有範(ひのありのり)にちなんで

1828年(文政11年)に20世の広如(こうにょ)が

『有範堂』を建立した事に始まります


その後、1880年(明治13年)

21世の明如(みょうにょ)によって

西本願寺の飛地境内地として

『日野別堂誕生院』となったんですね


それでは早速、中に入っていきましょう


日野誕生院

日野誕生院


こちらの階段を上っていくと

目の前に中門があります!


日野誕生院の中門

日野誕生院の中門


そしてその中門をくぐると

ご本尊の阿弥陀如来像が安置されている

本堂があるんですね


日野誕生院の本堂

日野誕生院の本堂


こちらの本堂は、1923年(大正12年)に
立教開宗700年の記念事業として
書院とともに建築が始まったもので
その後、1931(昭和6年)に
完成したものなんですね~


また、本堂の中には、ご本尊の他に親鸞の御影像や

親鸞の父、日野有範の木像も安置されています。


ここで冒頭でも少し触れました

親鸞について簡単にご紹介したいと思います


親鸞聖人童形の像

境内にある「親鸞聖人童形の像」


親鸞は、1173年(承安3年)
日野有範の長男として生まれ
9才で青蓮院(しょうれんいん)の
慈円(じえん)の元で得度(とくど)して
『範宴(はんねん)』と称しました。

※得度とは、出家する儀式の事。


親鸞が得度する際に詠んだ和歌

境内にある石碑で、親鸞が得度する際に詠んだ和歌。「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と刻まれています。


1198年(建久9年)に赤山禅院

(せきざんぜんいん)へ行った帰り

ある不思議な女性と出会ったそうです


その女性は

「私も一緒に比叡山に連れてって下さい!」

と親鸞にお願いをしてきたんですね


それに対して親鸞は

「それは出来ません。ご存知の通り、比叡山は女人禁制ですから。」

と答えたといいます。


すると女性は

「伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)様ともあろう方が、一切衆生(いっさいしゅじょう) 悉有仏性(しつうぶっしょう)を知らないはずありません。比叡山には、鳥獣の雌(めす)がいると思います。鳥獣の雌が良くて、人間の女だけがダメというのは差別ではありませんか?」

と、言うんですね~。


親鸞は、この時

女性の言葉に一言も返せなかったそうですよ。

女性はその後、スッと消え去ってしまいました


この時の女性の言葉が親鸞の心の中に

強く残った事は、想像するのに難くありませんよね。


そうして親鸞は、約20年もの
比叡山での修行の中でも救いが見つからず
比叡山を降りる決意したそうです


そして、1201年(建仁元年)

聖徳太子が建立した六角堂(ろっかくどう)に

百日参籠(ひゃくにちさんろう)を始めたんですね

※参籠とは、お寺にこもる修行の事。


当時お坊さんは、女性との関係を

表立って持つ事は禁止とされていたんですけれど

六角堂に籠って95日目、聖徳太子が夢の中に現れ

「あなたが女犯(にょぼん)の罪を犯しても
私が女となって受け入れましょう!

そして臨終の際には、極楽浄土へお連れします。」

というお告げをされるんですね


人間は女性との交わりによって
生まれてくるというのに
お坊さんは、女性と交わってはいけないという
矛盾に親鸞は悩んでいたといわれています。


その後、親鸞は、お坊さんとしては初めて

結婚をし、妻帯持ちとなったんですよ~


これは当時としてはスゴい事で
表立ってお坊さんが妻を持ったのは
親鸞が初めてだったといわれています


その後、親鸞は、法然の元で浄土宗に帰依し

名を『綽空(しゃっくう)』と改めました。

そして発得(ほっとく)した後は

親鸞と名乗るようになったといわれています。

※発得とは、修行から高度の宗教経験を得る事。


そんな親鸞の教えとして
良く知られているのが
『悪人正機(あくにんしょうき)』です!


「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」


これは分かりやすく言うと・・・

善人ですら、この世を去って極楽へ行けるのだから

悪人は言うまでもなく極楽へ行けると、いう事なんですね


え?悪人が極楽へ??


とお思いかもしれませんけれど

親鸞の言う悪人とは

自分が悪い事をしてしまったと自覚している人の事で

善人とは、自分の悪い行いに気付けない

身の程知らずな人という事なんです


そんな善人が極楽に行けるんだから
自分の罪を認めている悪人こそが
極楽浄土に行けるというワケです!


親鸞の「うぶ湯の井戸」と「ゑな塚」

親鸞の「うぶ湯の井戸」と「ゑな塚」


こちらは親鸞が生まれた際に使われた
『産湯の井戸』と親鸞のへその緒を納めた
『胞衣塚(えなづか)』があるんですね


ただ、中には入れませんでしたので

外側からの写真になります!


という事で今回は、親鸞誕生の地である

日野誕生院をご紹介しました


日野誕生院の場所はコチラ↓



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