2015-01-29 | |
テーマ:史跡 |
福堂地蔵尊
今回ご紹介するのは
京都市山科区東野(やましなくひがしの)にある
福堂地蔵尊(ふくどうじぞうそん)です!
こちらの福堂地蔵尊は
この地に京都刑務所を建てる際
敷地内に放置同然になっていた地蔵尊を集めて
お祀りしたのが始まりといわれています
なんでも京都刑務所を
旧施設から移転した際
職員やその家族に
原因不明の病死者が続出したそうです
そんな事から神仏に祈願したところ
「お地蔵さんを安置するように!」
というお告げがあったというんですね~
福堂地蔵尊の説明板です。
そしてお告げどおりに
お地蔵さんを集めてお祀りし
祭礼を執り行ったところ
なんと!病魔が退散したんだそうですよ
※お地蔵さんは全部で7体安置されています。
ちなみに京都刑務所は
六角牢屋敷(六角獄舎)の徒刑場が
前身なんだそうです。
こちらは六角獄舎跡にある
日本近代医学発祥之地の石碑と
勤王志士平野國臣外十数名終焉之跡の石碑です。
六角獄舎は牢獄の事で
正式名称を三条新地牢屋敷というんですね
平安時代に造られた左獄、右獄の
左獄が前身で
その後、各地を転々とし
最終的に六角の地に留まったことから
六角獄舎や六角牢と呼ばれたんだそうです。
そういう経緯を知ると
平安時代から続いているとも考えられますよね。
ちなみに余談ですけれど
日本で最初の人体解剖は
六角獄舎で斬首刑になった男性が選ばれたんですよ。
※詳しくは、日本近代医学発祥之地の記事をご覧ください。
それから1870年(明治3年)に上京区主税町の
京都所司代跡に移転し
1903年(明治36年)には『京都監獄』
1922年(大正11年)には『京都刑務所』と
改称したんだそうです。
※主税町は二条城の北西角にある町名です。
その後、京都刑務所が
1927年(昭和2年)に
現在地に移転新築したというワケなんですね。
さて、そんな福堂地蔵尊では
始めのうちはきちんと供養も続けられていたようですけれど
いつの間にかお地蔵さんの供養が
途絶えがちになっていったといわれています。
なんだか嫌な予感がしますよね。
すると・・・
1951年(昭和26年)頃
再び奇病が流行し始めたんだそうです
やっぱり
そこで誰からともなく
「これはきっと
お地蔵さんの供養をしていないからだ!」
と言う声が出て
改めてこの場所にお堂を建てて
丁重に供養したといわれています
それからは毎年8月の下旬に
盛大な供養を行っているそうですよ。
一方、今までいろいろな場所を転々としてきた
京都刑務所なんですけれど
現在、京都刑務所を廃止して
どこか別の場所に移転するかもしれないという
話もあるようです。
というわけで
今回は京都刑務所の敷地内にある
福堂地蔵尊をご紹介しました
福堂地蔵尊の場所はコチラ↓
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