メモ2015-01-01
テーマ:お寺
関連:妙満寺の躑躅(ツツジ) / 

妙満寺

皆さん、明けましておめでとうございます!

今年も皆さんにとって

良いお年となりますように~


さて、今回ご紹介するのは

京都市左京区の岩倉幡枝町(いわくらはたえだちょう)にある寺院で

『雪の庭(ゆきのにわ)』がある事でも知られている


妙満寺


妙満寺(みょうまんじ)です!


実は今年(2015年の1月1日)のお正月は

京都でも珍しく

とーっても雪が降ったんですよ


それで急いで妙満寺に

雪の庭を見る為

出かけてきました


雪の庭については

また後ほどご紹介するとしまして

まずは妙満寺について簡単ではありますけれど

ご紹介したいと思います


妙満寺石碑


妙満寺は
顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)の総本山で
山号を妙塔山(みょうとうざん)といいます。


1389年(康応元年)

日蓮(にちれん)に帰依した

日什(にちじゅう・元天台宗の僧)によって

六条坊門室町に根本道場として

創建されたんだそうですよ。


日汁大正師御霊廟

*境内にある日汁大正師御霊廟です。


ちなみに創建当時は

天台宗のお寺だったみたいです。


そんな妙満寺なんですけれど

1536年(天文5年)に起こった
天文法華の乱(てんもんほっけのらん)で
比叡山延暦寺の僧兵に焼き討ちに遭い
伽藍を焼失してしまいます

※天文法華の乱について詳しくは、常寂光寺の記事をご覧ください。


その後、堺の正興寺に逃れ

帰洛後、伽藍を再建します。


山門の提灯


また1583年(天正11年)には

豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって

寺町二条に移されると

400年もの間

寺町二条の妙満寺として

親しまれてきたそうなんですね~


そして近年

京都の街も近代化が進み

都会の喧騒から離れるという目的で

1968年(昭和43年)に

岩倉の地に移ったといわれています


それでは早速、中に入っていきましょう♪


こちらが山門です!


山門


山門をくぐると

右手には手水舎があり


手水舎


左手には梵鐘がありました。


梵鐘


そしてそのまま境内をまっすぐ前に進むと


境内


本堂があります♪


本堂には


本堂


ご本尊である釈迦多宝仏が

安置されていました


こちらは方丈です。


方丈


方丈から入り本坊へと行くんですね。


本坊には冒頭でも触れました
雪の庭があるんですよ♪


コチラがその雪の庭になります!


雪の庭


どうですか~!

なんとも美しい雪景色だと思いませんか?


こちらの雪の庭は
洛中『雪月花三名園』の1つといわれ
歌人・俳人として知られる
松永貞徳(まつながていとく)が
作庭したんだそうです。


雪の庭と書かれた石碑


借景には比叡山が取り入れられた

枯山水庭園となっています♪


もともと塔頭の成就院(じょうじゅいん)に

あったものなんだそうですけれど

岩倉に移ってくる際に

本坊の東庭に復元したんだそうですよ。


雪月花三名園の雪の庭


ちなみに『雪月花三名園』とは
成就院の名前が付くお寺で
成就院の『雪の庭』
清水寺成就院の『月の庭』
北野成就院の『花の庭』の事です。

※現在、北野成就院はありません。


手水鉢

*雪の庭にあった手水鉢


また本坊には寺宝の
『紀州道成寺の鐘』があり
こちらは安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)の
話が伝わっています。


熊野詣の修験者である安珍が

ある宿に泊まった際

庄屋の娘である清姫に

一目ぼれをしてしまいます


すぐに2人は恋に落ち

安珍は

「熊野詣をしてきたらすぐに戻ってくる!」

と言って再会を約束したそうですよ


けれど安珍は
なんとその約束を破り
戻らず裏切っちゃうんですね~。


安珍はそのまま帰っちゃったそうです。

なんて悪いヤツなんでしょ


清姫は怒り心頭で

安珍のいる紀州の道成寺(現在の和歌山県川辺町)まで

安珍を追っていくんですね~


清姫が日高川にさしかかった頃

なんと蛇の姿になっていたといいます


そして清姫は鐘の中に隠れていた

安珍を見つけると

鐘に巻きついて炎を吐き
鐘を真っ赤に焼いて
安珍を焼き殺してしまいます


その後、清姫は

真っ黒に焼け焦げた安珍を確認すると

自ら日高川に身を沈め

自殺したといわれています


それから430年の月日が流れた

1359年(正平14年)3月11日・・・

源万寿丸の寄進によって

復活した鐘を祝う祝儀の席で

とある1人の白拍子が舞を舞ったんだそうです。


・・・けれどその舞が終わった直後
白拍子は蛇の姿となり
寄進された鐘を引きずり落とし
その中に消えてしまいました


お坊さん達はその光景を見るなり


「これは清姫の怨霊であるぞ!!!」


と一心不乱に祈って

鐘を再び上げました。


この話はその後

歌舞伎や能で

『娘道成寺』という演目で

演じられるようになったんですよ。


その後

その鐘はどうなったのかと言いますと

怨霊のせいなのか鐘の音が悪く
道成寺の裏の竹林に埋めたみたいです


それから200年の後に

鐘の話を聞いた秀吉の家臣である

仙石秀久(せんごくひでひさ:仙石権兵衛(せんごくごんべえ))は

鐘を掘り起こして
合戦の時の合図に使う鐘(陣鐘)として使い
その後、怨念を払ってもらう為
妙満寺に納めたといわれています。


残念ながら写真撮影が禁止されていましたので

写真はないんですけれど

鐘には

『紀伊州日高郡矢田庄・道成寺鋳鐘』

『天正14年(1359年鋳造)』

と彫られていましたよ。


仏舎利大塔


こちらは仏舎利大塔です!

釈迦が悟りを開いた聖地である

インドのブッダガヤにある

ブッダガヤ大塔を模したもので

日蓮(にちれん)の教えを強くしようと

1973年(昭和48年)に建てられたんだそうです


その他、方丈の前には

能阿弥(のうあみ)の定めた

京都七名水の1つ『中川の井』


中川の井


天正時代の五条大橋を架けた際

橋脚となったものもありましたよ♪


橋脚


そんな妙満寺の場所はコチラ↓


大きな地図で見る


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