メモ2014-12-17
テーマ:史跡

先斗町歌舞練場

今回ご紹介するのは

京都に5つある歌舞練場のうちの1つ

先斗町歌舞練場

先斗町歌舞練場(ぽんとちょうかぶれんじょう)です!


歌舞練場は他に

・祗園甲部歌舞練場(ぎおんこうぶかぶれんじょう)

・宮川町歌舞練場(みやがわちょうかぶれんじょう)

・上七軒歌舞練場(かみしちけんかぶれんじょう)

・祗園東歌舞練場(ぎおんひがしかぶれんじょう・祗園会館)

といった種類があるんですよ


ちなみに先斗町(ぽんとちょう)と言えば

鴨川の西側にある

南北約500メートルの花街の事を指すんですけれど

先斗町という字は

京都でも難解な読みとして

いろんな所で耳にするんですよね。


おそらく初めてこの字を見た人は

読めないと思います


それにしてもどうして

『ぽんとちょう』と読むんでしょうか?

不思議ですよね~♪


説はいろいろあるみたいですけれど

『京都坊目誌(きょうとぼうもくし・京都の地誌、歴史書)』によれば

先斗町は1670年(寛文10年)

鴨川の氾濫を防ぐ為に

堤防を築いて開かれた場所のようで

先端の東側には家が建ち並んだそうなんですけれど

西側には家が建たなかったといわれています。


それで『先斗り(さきばかり)』という漢字をあて

ポルトガル語の『先端』を意味する『PONTO』から 『ぽんとちょう』と呼ぶようになったんだそうですよ。


えぇ~??なぜにここでポルトガル語

と余計に不思議に思ってしまいますよね。


けれど、このポルトガル語説にも謎があるみたいで

実はポルトガル語で先端という言葉は

『PONTO』ではなく

『PONTA(ポンタ)』なんだそうです


要するに『ポンタ町』でなければ

いけないというワケですよね!!


もしかすると

次第に訛っていって

『ポント』になったのかも・・・

知れないんですけれど

いずれにしても明確な答えはわかっていません。

※ちなみに他の説には英語の『ポイント』からきているというものもあります。


鴨川をどりを再開させた場所に立つ先斗町歌舞練場

さて、そんな先斗町にある先斗町歌舞練場は

1895年(明治28年)に

平安奠都(てんと)1100年を記念して設立され

当時、途絶えていた鴨川をどりを

この地で再開させたんですね


鴨川をどりは

先斗町花街の芸舞妓によって行われる舞踏公演で

もともとは1872年(明治5年)に

裏寺町の大龍寺横にあった寄席(よせ・演劇場)『千代の家』で

始まったものなんだそうです。


その後、1875年(明治8年)に開催された

第1回京都博覧会(きょうとはくらんかい)では

催し物の付博覧(つけはくらん・余興)として

披露されたといわれています

※鴨川をどりは現在、春(5月1日~24日)と秋(10月15日~11月7日)の年に2回行われています。


2代目の先斗町歌舞練場

こちらの先斗町歌舞練場は2代目で

1927年(昭和2年)に

劇場建築の名手といわれた

大林組の木村得三郎(きむらとくさぶろう)の

設計によるものなんだそうですね~


建物は地下1階、地上4階の5階建てで

鉄筋コンクリート造りです。


完成した当時は

東洋趣味を加味した近代建築と

賞賛されたんだそうですよ。


こちらの写真は


鴨川から撮った先斗町歌舞練場

鴨川から撮った写真です。


ちなみにコレなんだかわかりますか


鬼瓦

鬼瓦は鬼瓦なんですけれど、ちょっと怖いですよね??

それもそのはず!

この鬼瓦は先斗町の守り神になっているんですよ


実は鬼瓦は

中国の蘭陵王(らんりょうおう)の鬼瓦なんです。


蘭陵王の仮面

蘭陵王は容姿が美しく

優しい顔立ちであった事から

戦の時は自軍の兵が見とれてしまわないように

獰猛(どうもう)な仮面を被って出陣したといわれています!


その蘭陵王の仮面(能楽面)を型取って

先斗町の繁栄を祈念し屋根に据えたものが

この鬼瓦なんですね~


今年の鴨川をどりは

もう終わってしまいましたけれど

気になった方は来年の春

訪れてみてはいかがでしょうか。


また舞妓さんの募集も

行っているみたいなので

私こそは!と思う人は

先斗町歌舞会へ連絡してみてくださいね


そんな先斗町歌舞練場の場所はコチラ↓


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