2014-09-26 | |
テーマ:お寺 |
壺井地蔵尊
今回ご紹介するのは
京都市中京区にある
壺井地蔵尊(つぼいじぞうそん)です!
壺井地蔵は
太子道佐井(たいしみちさい)
という場所にあります。
このモダンな柄の壁に囲われた、4、5段程の階段を下りたところに壺井地蔵が安置されています。
ちなみに太子道(たいしみち)という
通り名の由来は
聖徳太子(しょうとくたいし)ゆかりのお寺で
太秦(うずまさ)の太子堂と呼ばれた
太秦広隆寺(うずまさこうりゅうじ)へと
続く道だからと言われています
そしてお地蔵さんの
名前にもなっている壺井(つぼい)とは
かつて名水と言われた井戸の事なんですね。
名水壺井と刻まれています。
しかし壺井は現在
枯れてしまっているみたいです
けれどかなり近年までは
水は枯れる事なく
湧き出ていたそうですよ。
井戸の上に壺井地蔵が安置されています。
ちなみにこの辺りの町名も
北壺井町となっています。
さて、そんな壺井の名前を
このお地蔵さんが
どうして冠しているのか気になりますよね
実はこのお地蔵さん
なんと、この壺井の井戸から
出てきたと言われているからなんです!
えっと思うかも知れませんけれど
この事は江戸時代に
黒川道祐(くろかわどうゆう)という儒医(じゅい)が
太秦広隆寺(うずまさこうりゅうじ)への
道中を記した書物
『太秦村行記(うずまさむらこうき)』に
書かれています。
※黒川道祐は、江戸時代に刊行された地誌『雍州府志(ようしゅうふし)』の著者で知られています。
それによると・・・
ここにある井戸の中から
壺が出てきたみたいで
その壺の中にお地蔵さんが
納められていたそうです
という事は
壺井という井戸の名前も
この壺が出てきた事に
由来しているというわけですよね!
とにかく壺の中から
お地蔵さんが出てきたわけですから
安置するしかないでしょ!
という事で壺井地蔵尊と名付け
安置したんですね
そんな壺井地蔵の出てきた
壺井の水は江戸時代
処刑される罪人の
末期の水(まつごのみず)に
なっていたんだそうですよ。
※末期の水とは、死に水とも言われ、臨終の際に口に含ませる最後の水の事です。釈迦が臨終の際に水を求めた事に由来し、死後の世界で乾きに苦しむ事の無いようにとの想いで与えるみたいです。
江戸時代、この辺りには
西土居処刑場(西ノ京処刑場)という
罪人を処刑する刑場がありました。
処刑される罪人は
六角獄舎(ろっかくごくしゃ)という牢獄を出て
一条戻り橋で小餅を
壺井の井戸で末期の水を
与えられたと言われています。
※ちなみに日本で初めて死体解剖に選ばれた屈嘉(くつよし)という人物は、西土居処刑場で処刑された人物です。詳しくは、日本近代医学発祥之地の記事をご覧ください。
壺井地蔵はそんな罪人達を
見送ってきたんですね。
そんな壺井地蔵尊のある場所はコチラ↓
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