2014-06-10 | |
テーマ:神社 |
石上神社
今回ご紹介するのは
京都市の南区にある
石上神社(いそのかみじんじゃ)です!
正式名称を
石上布留社(いそのかみふるしゃ)と言って
世界遺産で有名な東寺の近くにある神社なんです♪
実はこの石上神社は
長く東寺の政所(まんどころ)だった場所なんですよ
政所というのは
簡単にご説明しますと
政務や事務をする所のことなんです。
のちに鎌倉幕府や室町幕府等で
政所という役所名になったり
戦国時代には正妻の事を
北政所(きたのまんどころ)と呼ぶようになりますよね
※ちなみに政所に北という字がついたのは、家庭内の家政をしていた妻が、邸宅の北に住まいがある事が多かったことからだそうです。
本殿です。ご祭神は石上布留御魂(いそのかみふるのみたま)、相殿に阿刀大神(あとおおかみ)をお祀りしています。
そんな石上神社の創建について
詳しい事はわかっていないそうなんですけれど
ある人物のお母さんの家系の斎壇だったと言われています。
そのある人物とは
もちろん東寺に関係する人物なんですけれど・・・
もうお分かりになっている方も
いらっしゃいますよね
そうなんです!
弘法大師(こうぼうたいし)空海(くうかい)の事なんです。
この空海のお母さんの家系が
阿刀家(あとけ)と言われ
阿刀家の斎壇となっていました。
※阿刀家は珍しい女系家族だったんですよ~
また阿刀家は823年(弘仁14年)
阿刀大足(あとのおおたり)が阿刀家に
婿に入った時に政所となって以来
1871(明治4年)に廃止されるまで
東寺執行(とうじしぎょう)を努めたと言われています
※執行とは、お寺の寺務を執り行うために置かれた役職の事です。阿刀大足は、空海の叔父にあたる人物で、若き空海に論語等を教えたことで知られています。
東寺執行と書かれた石碑
ここで弘法大師空海についても少しご説明しますと
空海は日本の宗教史上で
最も有名な人物の1人といっても過言では無く
天才の呼び声高い人物ですよね
地蔵堂
774年(宝亀5年)年の6月15日
讃岐(今の香川県)の国で
父・佐伯値田公(さえきのあたいたきみ)と
母・玉寄御前(たまよりごぜん)の間に
生まれたんですよ~
そして804年に空海は遣唐使として入唐し
2年間滞在し真言宗を習得して帰国します。
空海が習得してきた真言宗は
密教とも呼ばれ秘密の教えだったんですね!
言語では表現出来ない
仏の悟りとも言われる特別なものなんだそうですよ
ちなみに空海が作り上げた秘法に
『きゅうり封じ』があったりします。
また彼は達筆でも知られているんですね。
また824年(天長元年)に
干ばつが続き、雨が振らずに困った朝廷は
東寺の空海と西寺(さいじ)の守敏(しゅびん)を呼び
祈雨の法の競い合いをさせたと言われています。
そのとき、空海は善女龍王(ぜんにょりゅうおうしゃ)を呼び寄せ
見事、雨を降らすことに成功したんですね♪
その後、東寺は栄えたと伝わっているそうですよ。
※西寺はその後、衰退し現在はありません。平安京の玄関と呼ばれる『羅城門(らじょうもん)』の東に作られたのが東寺で西に作られたのが西寺なんですよ。
摂末社
こちらは波切不動明王(なみきりふどうみょうおう)を安置する
波切不動堂です。
この波切不動明王は空海の
地盤の明王と言われていて
四国のお遍路や高野山にお参りしたとしても
この明王にお参りしなければ
ご利益が頂けないんだそうですよ
ちなみに波切不動明王は
空海が唐から日本へ戻る途中
大嵐に遭遇した際
荒波を剣で切り裂き彼を救ったと言われています。
※詳しくは、浪切不動寺の記事をご覧ください。
波切不動明王が安置されています。
というわけでまだお参りに訪れていない方は
是非、忘れずに訪れて下さいね
そんな石上神社の場所はコチラ↓
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