2013-10-20 | |
テーマ:京都検定 |
京都検定過去問 その227
本日は京都検定の過去問を出題します
写真付きで解説しているので
問題にチャレンジしてみて下さいね。
では1問目です。
【問題】
東海道ゆかりの( )には、明治・大正時代の洋風建築が残っている。
ア.二条通
イ.三条通
ウ.四条通
エ.五条通
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.三条通
三条通は東西に伸びる
京都市の主要な通りの1つです。
※平安京の主要道路だった三条大路にあたります。
1590年、豊臣秀吉の命令で
鴨川に三条大橋が架かると
東海道の出入口『粟田口(あわたぐち)』として
京都の玄関口になったそうですよ
粟田神社は粟田口に位置する神社で
旅の安全を祈願しに
大勢の人が訪れたと言われています。
続いては2問目です。
【問題】
修学院から比叡山延暦寺に至る山道は( )と呼ばれている。
ア.薬王坂(やこうざか)
イ.雲母坂(きららざか)
ウ.二年坂(にねんざか)
エ.老ノ坂(おいのさか)
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.雲母坂
雲母坂の名前の由来は
『山州名跡志(さんしゅうみょうせきし・江戸時代に書かれた地誌)』によると
夕雲が覆い、都から見ると雲が生ずるように見える事から
その名が付いたと言われています。
※この他にも花崗岩(かこうがん)に含まれる雲母(うんも・白や黒の光沢をした鉱物)が由来とも言われています。
比叡山延暦寺の僧兵がこの道を通って
朝廷へ強訴(ごうそ・神の名を語り、強引に直訴する事)などを行ったそうですよ
また都から勅使(ちょくし・天皇の使い)が通った事から
勅使坂とも呼ばれています。
3問目にいってみましょう。
【問題】
宇治田原町(うじたわらちょう)にある( )は、「奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」を詠んだ歌人を祀っている。
ア.柿本神社(かきのもとじんじゃ)
イ.融神社(とおるじんじゃ)
ウ.猿丸神社(さるまるじんじゃ)
エ.関蝉丸神社(せきせみまるじんじゃ)
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.猿丸神社
問題の歌人とは
三十六歌仙の1人と言われる
『猿丸大夫(さるまるのたいふ・さるまるだゆう)』の事です。
※三十六歌仙とは藤原公任(ふじわらのきんとう)が作った三十六人撰(さんじゅうろくにんせん)に名をあげられた歌人の事です。
そんな彼を祀る猿丸神社は
京都府の南部・宇治田原町にあり
癌封じのご利益があるとされる神社です
※詳しくは、猿丸神社の記事をご覧下さい。
ちなみに
「奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」
を訳してみると
「人里離れた奥山で、鹿が紅葉を踏み分けながら雌鹿が恋しいと鳴く雄鹿の声を聞く時こそ、秋は悲しいものだと感じる」
という事みたいだそうですよ。
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので選択肢ではありません!
ズバリでお答え下さい。
【問題】
通称「苔寺」と呼ばれる西芳寺の庭園は、( )が作成したと伝えられ、国の史跡・特別名勝に指定されている。
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では、答えですっ。
【答え】
夢窓疎石(むそうそせき)
夢窓疎石は
鎌倉時代後期から室町時代初期にかけて活躍した僧です。
観光スポットとして有名な嵯峨・嵐山にある
『天龍寺(てんりゅうじ)』は
彼が建て住職を務めたことでも知られています
※天龍寺について詳しくは、天龍寺 その1、天龍寺 その2の記事をご覧下さい。
優れた作庭家としても
夢窓疎石は有名で
京都には彼の手がけた庭が、いくつか残されているんですよ。
※詳しくは、夢窓疎石の手がけた京都の庭の記事をご覧下さい。
という事で本日も4問出題させていただきました。
皆さんは何問正解されましたか?
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