2013-08-02 | |
テーマ:京都検定 |
京都検定過去問 その202
京都検定の過去問より
4問出題させて頂きます。
早速、1問目にいってみましょう
【問題】
応仁元年(1467)、応仁の乱の戦端が開かれたとされる場所はどこか。
ア.上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)
イ.下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)
ウ.首途八幡宮(かどではちまんぐう)
エ.護王神社(ごおうじんじゃ)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ア.上御霊神社
応仁の乱は
次期、室町幕府将軍の後継者争いがきっかけとなり
1467年に起こった乱です
京都だけでなく
全国各地でも争いが起こり
戦国時代へ突入するきっかけとなったと言われています。
※応仁の乱について、詳しくは銀閣寺(慈照寺)の記事をご覧下さい。
上御霊神社は794年
桓武天皇(かんむてんのう)が
早良親王(さわらしんのう)の御霊を祀ったのが
始まりと言われています。
鳥居横には
『応仁の乱勃発地』と書かれた
石碑が建てられているんですよ
続いて2問目にいってみましょう。
【問題】
徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けるに際し、上洛時の宿所や京都の警衛のために造営した城は何か。
ア.亀山城
イ.二条城
ウ.伏見城
エ.淀城
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.二条城
二条城は徳川初代将軍
徳川家康(とくがわいえやす)により
建てられたお城です。
世界遺産にも指定され
現在は京都市により管理されています。
ちなみに上洛の際に利用されていた二条城ですが
家康に続いて秀忠(ひでただ・2代目)
家光(いえみつ・3代目)により利用された後は
14代目将軍、家茂(いえもち)まで利用されなかったそうですよ
その後は、皆さんご存知の通り
徳川家最期の将軍、慶喜(よしのぶ・15代目)により
大政奉還が行われました。
※二条城について詳しくは、二条城 その1の記事をご覧ください。
【問題】
祇園祭の宵山の3日間は、山鉾町の旧家などで秘蔵の美術品などを見られることから、( )ともいわれる。
ア.お迎え提灯
イ.屏風祭
ウ.献茶祭
エ.宵宮祭
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.屏風祭
宵山の3日間とは
7月17日に行われる山鉾巡行より以前の
14日、15日、16日の事です。
山鉾町とは
山や鉾を出している町の事で
美術品などを飾って宵山を盛り上げています。
屏風祭とは飾られる美術品の中で
屏風が多かった事から
そう呼ばれるようになったそうですよ
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので選択肢ではありません!
ズバリでお答え下さい。
【問題】
平安京大内裏(だいだいり)の南中央に位置した施設( )は、天皇の即位式など国家的行事に使われ、その正殿は大極殿(だいごくでん)と呼ばれる。
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
朝堂院(ちょうどういん)
大内裏とは皇居や官庁のあった場所で
平安京の北部中央に位置していたと言われています
朝堂院(ちょうどういん)は大内裏の南中央に位置し
平安京の政庁(せいちょう・政治の中枢を担っていた建物群)です。
そんな朝堂院を8分の5サイズに縮尺し
復元したのが
平安神宮なんですよ。
※詳しくは、平安神宮の記事をご覧ください。
という事で本日も過去問を4つ出題させていただきました。
皆さんは何問正解されましたか?
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