2013-07-08 | |
テーマ:神社 |
関連:御弓神事(北白川天神宮) / |
北白川天神宮
今回ご紹介する神社は・・・
北白川天神宮(きたしらかわてんしんぐう)です
この神社は北白川(京都市左京区)一帯の氏神社として
地元の方より篤い崇敬を受けている神社です。
※北白川天神宮は、銀閣寺の400メートルほど北側に位置しています
皇室ともゆかりのある北白川天神宮は
境内入ってすぐに明治天皇の御製(ぎょせい)が刻まれた石碑があります。
※御製とは、天皇陛下がお詠みになる和歌の事です。
「いはほきる音もしめりて春雨のふる日しづけき白川の里」
と書かれています
白川という地は、古くから石の町として知られ
数多くの石工(いしく・石屋、石大工など、石にまつわる職人の総称。)が
住んでいたようで、この地の石を『白川石』と呼んでいました。
※最盛期には200~300もの店が軒を並べていたそうですよ。
境内、入り口に架けられた石橋の欄干(らんかん)には、菊の御紋があしらわれているんですよ。
ですので、陛下はここを通る度に
石を切る音を耳にした事を思い出し
白川の里に思いを馳せ、和歌を詠まれたのだと思います
つまり・・・
岩(石)を切る音が、白川に静かにしたたる
雨の音にしめっていると表現されているんですね~。
※天皇家と北白川天神宮の繋がりに関しては、後ほどご説明しますね。
133段の石段を登って中へと入っていきます。ちなみに、北白川天神宮は山の麓に建っているんですよ。
では、北白川天神宮の起源についてご紹介したいと思います。
この神社は、ここから約500メートルほど西にかつてあった
森に建てられた社を起源とします
この社に、現在の祭神でもある
少彦名命(すくなひこなみのみこと)が祀られていたのです
※ちなみに、この時は『天使大明神』という名前で祀られていたそうですよ。
石段を登りきると拝殿が見えてきます。奥には、本殿が建っています。
彼は国譲りの神として有名な
大国主命(おおくにぬしのみこと)と一緒に
国作りを行なった神様として知られています。
※神話によると、海を渡ってやって来た少彦名命は、大国主命と契りを交わし、国土造りに強力したと言われています。
彼の体は大変小さかったそうですが
大国主命と一緒に、山を造り、島を造り
農業技術を普及させたと言われています。
この他にも酒造りを広めた事で知られ
お酒は、呑むだけなく消毒薬の役目もあった事から
『薬の神様』として、崇められている神様なんですねっ
本殿は1988年に大掛かりな修復工事を行なったそうです。
本殿の左手には日吉大神・春日大神・八幡大神を祀った末社がありましたよ。
そんな少彦名命が祀られていた森の前を
度々通っていたのが・・・
銀閣寺を建てた事で知られる
室町幕府8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)です!
当時、銀閣寺造営の為、森の近くを通る度に
馬が甲高く鳴き、足を止めたそうです。
足利義政は一体何事かと
森を調べたところ、少彦名命を祀る社を見つけたそうです
神威を感じた足利義政は
1482年、京都の鬼門に位置する現在地に
社殿を改めて造営したと言われています。
※足利義政については銀閣寺(慈照寺)の記事をご覧下さい
拝殿右手にも末社(加茂社・天照社)が並んでいます。
1619年には
近くに照高院(しょうこういん)という寺が建ち
度々、天皇家から入寺してきたそうです
この事が天皇家とゆかりを持つきっかけとなり
陽成天皇(ごようぜいてんのう・第107代天皇)の
弟にあたる興意法親王(こういほっしんのう)や
道晃法親王(どうこうほっしんのう)から篤い崇敬を受け
宮家の御祈願所にもなったんですね。
※法親王とは、出家した親王(天皇や皇后の次に、皇族男子に与えられる最高の位。)の事を指す敬称です。
という事で本日は
北白川天神宮をご紹介させていただきました!
場所はコチラ↓
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2 ■Re:天神宮の読み方
>zaucatsさん
ご指摘ありがとうございます。訂正させていただきました。
また、何かお気付きの点がありましたら
遠慮なくご指摘ください♪
京子 2013-07-09 20:13:58
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