2013-06-27 | |
テーマ:神社 |
綾戸国中神社
今回ご紹介する神社は
京都市南区の久世町(くぜちょう)にあります・・・
綾戸国中神社(あやとくなかじんじゃ)です
祇園祭において重要な役割を担う神社であり
毎年、綾戸国中神社の稚児が
祇園祭において、神輿の先導を務めています!
では早速ご紹介したいと思います~
まず最初に、起源について簡単にご紹介しまと
綾戸国中神社は『綾戸宮』『国中宮』という2つの社が合祀された神社です
南鳥居から、まっすぐ参道を進むと拝殿があります。
綾戸宮は、521年に
継体天皇(けいたいてんのう・第26代天皇)が
綾戸大明神を勧請し、建てられた事を起源とする社です。
綾戸大明神とは・・・
・大綾津日神(おおあやつひのかみ)
・大直日神(おおなおびのかみ)
・神直日神(かむなおびのかみ)
の総称です。
ちなみに、これらの神々は
国産みの神で知られる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)や
その息子・素盞嗚命(すさのおのみこと)が
黄泉の国(あの世)から戻り
穢れを祓った際に生まれた神様だと言われています。
こうした事から、綾戸大明神は
穢れを祓う神として崇められ、平安時代以降は
綾戸宮の近くを流れる大堰川(おおいがわ・または桂川)で
天皇の災禍(さいか・天災や事故によって受ける災い)を遷した
人形(ひとがた)を流す『七瀬の祓(ななせのはらえ)』が行なわれていたそうです
こちらは拝殿に掲げられた額です。社号の額は後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう・第70代天皇)の筆によるものを元にしているそうですよっ。
続いて、国中宮をご紹介しますと
素盞嗚命を祭神とし『駒形(こまがた)』をご神体(神様の依り代)とする珍しい神社です。
※駒形とは馬の頭の形をした木彫りの彫刻です。
社伝によりますと
かつて、この付近一帯は湖だったそうで
それを素盞嗚尊が、水を外に流して
平地に変えたと言われています。
そして、その中心に彼の愛馬の頭を彫刻した『駒形』を祀ったそうで
これが国中宮の起源となっています。
※素盞嗚命は日本神話に登場する神様の1人で、天上界(高天原)から、葦原中津国(あしはらのなかつくに・日本の国土の事)に降り立った神と言われています。彼は、出雲地方に残されている出雲神話にも登場し、ヤマタノオロチを退治するお話などが残されています。詳しくは貴船祭 2012(貴船神社)の記事をご覧ください。
現在の綾戸国中神社は
安土桃山時代に
国中宮が綾戸宮の境内に移される形で合祀されました
※それまで国中宮は、北に500メートル程上がった場所に鎮座していたそうです。
こちらが本殿です。
現在の社殿は昭和に入ってから建てられたもので
室戸台風(むろとたいふう)によって社殿が崩壊した為に
昭和11年に再建されたそうです。
現在は1つの社(本殿)に祭神が祀られていますが
それまでは
2つの社(綾戸宮と国中宮)が別々で並んでいたそうですよ
その後、昭和39年に境内が
東海道新幹線開発区域となった為、社殿を移動しました。
これは、その跡地に建てられた遷宮記念碑です
さて、冒頭でもお伝えした通り
祇園祭では、綾戸国中神社の稚児が
神輿の巡行の際に先導役を務めています
この稚児は『久世駒形稚児(くぜこまがたちご)』と言い
祇園祭の神幸祭と還幸祭において
綾戸国中神社のご神体を模した駒形を首からかけて乗馬し
素戔嗚尊が乗っている中御座(なかござ)の神輿を先導します
久世駒形稚児は巡行を前に、7月13日に八坂神社に無事を祈願しに訪れます。当日の様子は祇園祭 2012 久世駒形稚児社参(八坂神社)の記事をご覧下さい。
絵馬にも、駒形にちなんで神馬が描かれています。
ちなみに、八坂神社にも素戔嗚尊が祀られていますが
綾戸国中神社と八坂神社それぞれの御魂をもって1つとされています。
つまり祇園祭の神幸祭と還幸祭では
『神輿に乗った素戔嗚尊の御魂』と『駒形に宿った素戔嗚尊の御魂』が
1つとなる事で、四条一帯を巡行出来るようになるんですね
※ちなみに、八坂神社の御魂は『和御魂(にぎみたま)』、綾戸国中神社の御魂は『荒御魂(あらみたま)』と位置付けられています。和御魂は穏やかな心を持つ魂の事で、荒御魂は荒々しいは勇猛な魂という意味だそうです。
こちらが神幸祭の時の久世駒形稚児です。首からぶら下げているのが駒形ですっ。詳しくは祇園祭 2012 神幸祭(八坂神社・御旅所)の記事をご覧下さい。
ちなみに、この2つの御魂が揃う前に
神輿を動かしてしまうと・・
「都には疫病流行し、人々は大いに悩むだろう」と言われています(汗)
以上の事から
祇園祭には、この綾戸国中神社の稚児や駒形が
大変重要なんですねっ!
という事で今回は、綾戸国中神社をご紹介させていただきました。
場所はコチラ↓
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