2013-06-10 | |
テーマ:神社 |
天稚神社
今回ご紹介するのは
京都府の南丹市(なんたんし)に位置する
天稚神社(あめわかじんじゃ)です
※南丹市は、京都市の北西に位置する市です。
この神社はもともと、世木(よき)と呼ばれた村にあり
現在、建立されている場所から
3キロほど南東に位置していました
1年の祭礼が書かれています。
かつては世木の一之宮(いちのみや・最も社格の高い神社)に
位置付けられていたそうですよ。
※一之宮は、かつてあった社格制度におけるものです。戦後廃止となりましたが、現在でも目安の1つとされています。
ちなみに現在の社殿が建てられたのは1991年で
日吉ダムの建設に伴い、移築される事となったんですね
そんな天稚神社の起源について
詳しい文献は残っていないそうですが
世木の地に降り立った神様『天稚彦(あめのわかひこ)』を祀る神社として建立されました。
※この時、「この世と久しい(同じくらいの)木と一緒に私を祀りなさい」と神託を受け、村人達は立派な3本の杉の木と一緒に天稚彦を祀ったと言われています。この事から、世木という村の名前が付けられたそうですよ。
さて、この天稚彦という神様はどんな神様なのかと言いますと
天上界(高天原・たかまがはら)から
葦原中津国(あしはらのなかつくに・日本の国土の事)に
使者として送られた神様として
日本神話(古事記)に登場します。
※葦原中津国は、高天原と黄泉の国(よみのくに・死の国)の間にあるとされる世界で、日本の国土を意味しています。
葦原中津国は
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)によって
作り出されたといわれる世界で
伊弉諾尊の息子である素戔嗚尊(すさのおのみこと)が
天上界を追い出された際に、降り立ったと言われています。
ちなみに素戔嗚尊は
葦原中津国で、ヤマタノオロチを退治したり
櫛稲田姫尊(くしなだひめのみこと)と結ばれたりするんですね
その後は、素戔嗚尊の義理の息子にあたる
大国主命(おおくにぬしのみこと)が
葦原中津国を統治していたんですね
しかし、天上界(高天原・たかまがはら)では
素戔嗚尊の姉である天照大神(あまてらすおおみかみ・太陽神)が
「葦原中津国は私達の親が作ったものであり
本来は私達のものはず。素直にあけ渡しなさーい!」
と大国主命に対して使者を送ったのでした。
その使者こそが・・・天稚彦だったのです
※ちなみに、天稚彦の前にも使者が送られていましたが、大国主命の人柄に惚れ、部下になってしまい、失敗に終わっていたのです。
天上界の期待を受け
葦原中津国に降り立った天稚彦でしたが・・・
なんと
大国主命の娘である下照比売(したてるひめ)と
結婚しちゃうんですね!(汗)
天稚彦よ、使命はドコにいったんだ・・・。
本殿には天稚彦が祀られています。
そんなこんなで、結婚しちゃった天稚彦は
これをきっかけにして
自分が、大国主命からこの国を譲り受けてやろう!
と考えていたとも言われています
境内にはこの他にも祠が並んでいました。手前から大国主命、豊国主命、稲荷大神らが祀られています。
天満宮もありました。祀られているのは学問の神様で知られる菅原道真(すがわらのみちざね)です。天満宮について詳しくは京の天満宮巡りの記事をご覧下さい。
しかし、そんな彼の死は突然やって来ます。
使者に行ってから8年、何の音沙汰も無い事から
天上界では、しびれを切らし
鳴女(なきめ)という一羽のキジを、伝書鳩代わりに
天稚彦のもとに送り出しました。
しかし!
天稚彦は、やって来た鳴女を、弓矢で射抜いちゃうんですね。
※この弓矢は『天鹿児弓(あまのかごゆみ)』と『天羽々矢(あまのはばや)』と言い、葦原中津国に行く際に持たされた、強力な武器でした。
・・・邪魔者は全て消し去るという事でしょうか(汗)
この天稚彦の放った矢(天羽々矢)は天上界にまで届いてしまい
神々の逆鱗に触れてしまったのです。
こうした事から天稚彦は
裏切り者(反逆者)と見なされたんですね。
天上界の神々は、その矢を手に持ち
「天稚彦に邪心があれば、この矢は彼の胸に突き刺さるだろう。」
と言い、葦原中津国に向けて矢を投げ返すと
その言葉通り、天稚彦の胸に矢は突き刺さり
・・天稚彦は死んでしまったと言われています
結果的に、その後
天上界から送られた建御雷神(たけみかづちのかみ)によって
大国主命は葦原中津国を譲り渡したと言われています。
※この事から大国主命は『国譲りの神』として知られています。ちなみに島根に建つ出雲大社は、彼が国を譲る代わりに建てられたと言われています。
という事で、今回はそんな天稚彦を祀る
天稚神社をご紹介しました!
場所はコチラ↓
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