2012-05-09 | |
テーマ:神社 |
東丸神社
こんにちは、京子です。
今回ご紹介する神社は
東丸神社(あずままろじんじゃ)です
伏見稲荷大社の境内に建てられていますが
末社や摂社ではなく独立した神社になります。
ここに祀られているのは
江戸時代の国学者である
『荷田春満(かだのあずままろ)』という人物です。
東丸と書いて『あずままろ』と呼びます。
東丸神社の由緒が書かれています。
彼の死後、1883年に正四位(しょうしい)を賜った事を記念し
伏見稲荷大社の宮司などが中心となり
社殿が建てられ、祀られる事となりました
では、荷田春満とは一体どんな人物だったのかをお話しながら
境内をご紹介したいと思います。
1669年(江戸時代初期)に伏見稲荷大社の
社家(しゃけ・神社の神職を代々受け継いできた家)に生まれた春満は
跡は継がず、江戸で古学を研究します。
参道突き当たりに拝殿、更に奥に本殿があります。
『としまわりの石』は年の数だけ祈祷を捧げます。本殿前に設置された『箱』に入った竹の棒を、年の数だけ手に持ち、本殿と『としまわりの石』を往復しながら1本ずつ箱に返し願い事をします。
江戸で講義を開き、名声を高めた春満は
古学の研究だけに留まらず『国学』へと幅を広げます。
国学は江戸時代を代表する学問の1つで
古事記や日本書紀、万葉集などの古典研究をし
そこから、日本独自の文化や思想、精神を見出す学問です
※荷田春満は国学の四大人(したいじん)の1人でもあります。
以上の事から東丸神社のご利益は
『勉学向上』『受験合格』となっています。
結果的に
時の将軍『徳川吉宗』からも重宝され、幕臣にまで出世したんですね
ちなみに彼は
1702年の赤穂浪士討ち入りの際には
『吉良邸の見取り図を浪士たちに手渡した』なんていう話も残っています
これは春満が吉良上野介に古典の個人教授をしていた事が
経緯にあるそうですね
赤穂浪士の話は、演劇などでも行われている為
時代と供に様々なストーリーやエピソードが新たに付け加えられ
どこまでが真実なのか分かりませんが
この他にも
春満は『吉良上野介の在宅の日を教えた』と言われたり
実はそうではなくて『客人が来るからその日は止めた方が良い』
と言ったとも伝わります。
参道横には壁一面にびっしりとかけられた絵馬があります。
その下には千羽鶴もありました。
絵馬には
入試合格の願いが沢山書き込まれていましたね♪
こちらは鈴に『徳学』と書かれた絵馬です。
荷田春満の姿が描かれた絵馬もありましたよ♪
この日は『知恵参りの日』という事で御神米が配られていました。
参道の左手には『荷田社(かだのやしろ)』があります。ここには荷田春満の祖先が祀られているそうです。
そして、東丸神社の隣には荷田春満の旧宅があります。
一部焼失しましたが
書院や門が現在も残っているんですね
東丸神社から南東へ約300メートルほど行った所には
彼のお墓もあります。
是非セットで回られる事をオススメします~
春満は50歳を過ぎ、京の地に古学の普及の為
学校を創建しようと尽力しますが
胸の病や中風にかかり
願いは叶わぬまま、68歳でこの世を去ったという事です
そんな荷田春満が祀られている東丸神社の場所はコチラ↓
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