こんにちは、京子です。

今回ご紹介する神社は

東丸神社

東丸神社(あずままろじんじゃ)です


伏見稲荷大社の境内に建てられていますが

末社や摂社ではなく独立した神社になります。

ここに祀られているのは

江戸時代の国学者である

『荷田春満(かだのあずままろ)』という人物です。


東丸神社の石碑

東丸と書いて『あずままろ』と呼びます。


東丸神社の由緒

東丸神社の由緒が書かれています。


彼の死後、1883年に正四位(しょうしい)を賜った事を記念し

伏見稲荷大社の宮司などが中心となり

社殿が建てられ、祀られる事となりました


では、荷田春満とは一体どんな人物だったのかをお話しながら

境内をご紹介したいと思います。


1669年(江戸時代初期)に伏見稲荷大社

社家(しゃけ・神社の神職を代々受け継いできた家)に生まれた春満は

跡は継がず、江戸で古学を研究します。

東丸神社の拝殿

参道突き当たりに拝殿、更に奥に本殿があります。


としまわりの石

『としまわりの石』は年の数だけ祈祷を捧げます。本殿前に設置された『箱』に入った竹の棒を、年の数だけ手に持ち、本殿と『としまわりの石』を往復しながら1本ずつ箱に返し願い事をします。


江戸で講義を開き、名声を高めた春満は

古学の研究だけに留まらず『国学』へと幅を広げます。


国学は江戸時代を代表する学問の1つで

古事記や日本書紀、万葉集などの古典研究をし

そこから、日本独自の文化や思想、精神を見出す学問です

※荷田春満は国学の四大人(したいじん)の1人でもあります。


以上の事から東丸神社のご利益は

『勉学向上』『受験合格』となっています。


結果的に

時の将軍『徳川吉宗』からも重宝され、幕臣にまで出世したんですね


ちなみに彼は

1702年の赤穂浪士討ち入りの際には

『吉良邸の見取り図を浪士たちに手渡した』なんていう話も残っています


これは春満が吉良上野介に古典の個人教授をしていた事が

経緯にあるそうですね

赤穂浪士の話は、演劇などでも行われている為

時代と供に様々なストーリーやエピソードが新たに付け加えられ

どこまでが真実なのか分かりませんが

この他にも

春満は『吉良上野介の在宅の日を教えた』と言われたり

実はそうではなくて『客人が来るからその日は止めた方が良い』

と言ったとも伝わります。


東丸神社の絵馬

参道横には壁一面にびっしりとかけられた絵馬があります。

その下には千羽鶴もありました。


絵馬には

入試合格の願いが沢山書き込まれていましたね♪


東丸神社の絵馬

こちらは鈴に『徳学』と書かれた絵馬です。


東丸神社の絵馬

荷田春満の姿が描かれた絵馬もありましたよ♪


東丸神社の御神米

この日は『知恵参りの日』という事で御神米が配られていました。


荷田社

参道の左手には『荷田社(かだのやしろ)』があります。ここには荷田春満の祖先が祀られているそうです。


荷田春満の旧宅

そして、東丸神社の隣には荷田春満の旧宅があります。

一部焼失しましたが

書院や門が現在も残っているんですね


東丸神社から南東へ約300メートルほど行った所には

荷田春満の墓

彼のお墓もあります。

是非セットで回られる事をオススメします~


春満は50歳を過ぎ、京の地に古学の普及の為

学校を創建しようと尽力しますが

胸の病や中風にかかり

願いは叶わぬまま、68歳でこの世を去ったという事です


そんな荷田春満が祀られている東丸神社の場所はコチラ↓


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