メモ2011-10-28
テーマ:史跡
関連:京都御所 / 京都御苑 / 縣井 / 祐井 / 御所三名水 / 

拾翠亭

こんにちは京子です。

本日、ご紹介するのは史跡であり

京都御苑内にあります・・・

拾翠亭

拾翠亭(しゅうすいてい)です♪


御苑と言えば、かつては貴族の人たちの邸宅が

並んでいた事でしられていますけれど

この拾翠亭は

五摂家のひとつである『九条家』の遺構なんです。


拾翠亭

公開は3月から12月末にかけて行われていて、毎週金曜日・土曜日が開放されています。


さて、ここで五摂家とは何か?

と、言いますと藤原家を祖とする家柄で

近衛家(このえけ)

九条家(くじょうけ)

鷹司家(たかつかさけ)

二条家(にじょうけ)

一条家(いちじょうけ)

というように

鎌倉時代に5つにまで分けられる事となりました。


これら五摂家から、摂政や関白になる人が選ばれていました。


拾翠亭

では、中に入ってみたいと思います~っ。


ちなみに、この場所には当時

とても広い九条家の屋敷がありました。


その中に設けられた庭園と茶室だけが

現在も残っているという事なんですね。

貴族御用達の茶室という事です。


拾翠亭

到着~♪


では、上がらせていただきますっ。

ちなみに、屋根は瓦葺(かわらぶき)と柿葺(こけらぶき)が

組み合わされたものが使われています。


拾翠亭

そして、こちらが拾翠亭内部の写真です。


外に池が見えますよね?

拾翠亭

これは九條池と名付けられた勾玉形(まがたまがた)の池です。


池にかかるのは高倉橋と呼ばれる橋です。

ちなみに拾翠亭の名前の由来と

この池は関係していて

当時、九條池に集まるカワセミ(翡翠)からその字が充てられ

名付けられたとも言われています。


拾翠亭

そして、三畳の小間と呼ばれる茶室も兼ね備えています。


拾翠亭

部屋の一部には曲げ木を使った特徴的な柱が

使われているんですね。


拾翠亭

これは、その小間の室内ですけど

この壁をよーく見てみると・・・


拾翠亭

点々の模様がついています。


これは『ほたる壁』と呼ばれています。

さて、九条家ってちなみにどんな人たちがいたの?

と言いますと

鎌倉幕府4代将軍 藤原頼経(ふじわらのよりつね)

鎌倉幕府5代将軍 藤原頼嗣(ふじわらのよりつぐ)

と、将軍も輩出しているんですね~。


3代目の源実朝が暗殺され、源氏将軍が滅び、

北条義時と政子により鎌倉幕府は皇族から将軍を

迎え入れようとしますが、結果的には

九条家より藤原頼経が将軍の座に座る事となるんですね。


ちなみに、この時代、摂関家は5つに別れ

天皇家も北朝と南朝に別れたりします。


拾翠亭

階段を登って上に上がってみましょう。


拾翠亭

2階には12畳ほどの部屋が広がっています。窓の向こうの手すりは縁高欄(えんこうらん)と言うそうです。


ちなみに、近代ではどんな人が九条家にいたのかと言いますと

九条道孝(くじょうみちたか)という人物で

彼は明治天皇の左大臣として活躍されています。


ちなみに、その娘の節子は大正天皇の皇后になられました。


九条道孝は明治維新後、東京に移住。

その後、九条邸は取り壊される事となりましたけど

拾翠亭と九條池は遺構として

残される事となったんですね。


拾翠亭

一見、普通の障子に見えますけれど『石垣貼り』という手の込んだ貼り方がされています。


拾翠亭

これは、丁子七宝と呼ばれる模様。格子に刻まれていました。


拾翠亭

四阿(あずまや)は、庭園に設けられた小休憩のスペースです。


さて

最後に九條池をもう一度クローズアップしたいと思いますけど

よーく見ると、池の向こうには


拾翠亭

破風形鳥居が見えますね~!!


そうなんです。


池の向こうには、厳島神社(いつくしまじんじゃ)があるんですよ♪

一緒に回ってみてはいかがでしょうか?


そんな拾翠亭の場所はコチラ↓


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