こんにちは京子です。
本日、ご紹介するのは史跡であり
京都御苑内にあります・・・
拾翠亭(しゅうすいてい)です♪
御苑と言えば、かつては貴族の人たちの邸宅が
並んでいた事でしられていますけれど
この拾翠亭は
五摂家のひとつである『九条家』の遺構なんです。
公開は3月から12月末にかけて行われていて、毎週金曜日・土曜日が開放されています。
さて、ここで五摂家とは何か?
と、言いますと藤原家を祖とする家柄で
近衛家(このえけ)
九条家(くじょうけ)
鷹司家(たかつかさけ)
二条家(にじょうけ)
一条家(いちじょうけ)
というように
鎌倉時代に5つにまで分けられる事となりました。
これら五摂家から、摂政や関白になる人が選ばれていました。
では、中に入ってみたいと思います~っ。
ちなみに、この場所には当時
とても広い九条家の屋敷がありました。
その中に設けられた庭園と茶室だけが
現在も残っているという事なんですね。
貴族御用達の茶室という事です。
到着~♪
では、上がらせていただきますっ。
ちなみに、屋根は瓦葺(かわらぶき)と柿葺(こけらぶき)が
組み合わされたものが使われています。
そして、こちらが拾翠亭内部の写真です。
外に池が見えますよね?
これは九條池と名付けられた勾玉形(まがたまがた)の池です。
池にかかるのは高倉橋と呼ばれる橋です。
ちなみに拾翠亭の名前の由来と
この池は関係していて
当時、九條池に集まるカワセミ(翡翠)からその字が充てられ
名付けられたとも言われています。
そして、三畳の小間と呼ばれる茶室も兼ね備えています。
部屋の一部には曲げ木を使った特徴的な柱が
使われているんですね。
これは、その小間の室内ですけど
この壁をよーく見てみると・・・
点々の模様がついています。
これは『ほたる壁』と呼ばれています。
さて、九条家ってちなみにどんな人たちがいたの?
と言いますと
鎌倉幕府4代将軍 藤原頼経(ふじわらのよりつね)
鎌倉幕府5代将軍 藤原頼嗣(ふじわらのよりつぐ)
と、将軍も輩出しているんですね~。
3代目の源実朝が暗殺され、源氏将軍が滅び、
北条義時と政子により鎌倉幕府は皇族から将軍を
迎え入れようとしますが、結果的には
九条家より藤原頼経が将軍の座に座る事となるんですね。
ちなみに、この時代、摂関家は5つに別れ
天皇家も北朝と南朝に別れたりします。
階段を登って上に上がってみましょう。
2階には12畳ほどの部屋が広がっています。窓の向こうの手すりは縁高欄(えんこうらん)と言うそうです。
ちなみに、近代ではどんな人が九条家にいたのかと言いますと
九条道孝(くじょうみちたか)という人物で
彼は明治天皇の左大臣として活躍されています。
ちなみに、その娘の節子は大正天皇の皇后になられました。
九条道孝は明治維新後、東京に移住。
その後、九条邸は取り壊される事となりましたけど
拾翠亭と九條池は遺構として
残される事となったんですね。
一見、普通の障子に見えますけれど『石垣貼り』という手の込んだ貼り方がされています。
これは、丁子七宝と呼ばれる模様。格子に刻まれていました。
四阿(あずまや)は、庭園に設けられた小休憩のスペースです。
さて
最後に九條池をもう一度クローズアップしたいと思いますけど
よーく見ると、池の向こうには
破風形鳥居が見えますね~!!
そうなんです。
池の向こうには、厳島神社(いつくしまじんじゃ)があるんですよ♪
一緒に回ってみてはいかがでしょうか?
そんな拾翠亭の場所はコチラ↓
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