メモ2011-09-27
テーマ:神社

松明殿稲荷神社

こんにちは京子です。

さて、本日ご紹介する神社は・・・

松明殿稲荷神社

松明殿稲荷神社(たいまつでんいなりじんじゃ)です。

松明殿稲荷神社は、伏見稲荷大社の境外摂社であり田中社とも言います。


松明殿稲荷神社

創建は平安時代。948年に建てられました。


名前の由来は?と言いますと

956年に炬明殿(たいまつでん)の名前を天皇より賜たそうです。

※当初は現在地よりも東に800メートルほどの場所にあり。その後、転移を繰り返し、江戸時代に現在地に移されたそうです。


松明殿稲荷神社

ちなみに、江戸時代に作られた

『都名所図会(みやこめいしょずえ・ガイドブックのようなもの)』によると

伏見稲荷大社で行われた、稲荷祭の時に

松明殿稲荷神社の大勢の氏子たちが松明(たいまつ)を灯し

神輿(みこし)を七条河原で迎えていた事から

『松明殿』と呼ばれるようになったとも記されているそうです。


松明殿稲荷神社

こちらは

江戸時代中期、京都の僧である養阿(ようあ)が寄進した手洗と井戸。

彼は木食(もくしき)上人とも呼ばれ

米穀などの五穀を断ち、木の実を生のままで食べる

修行(苦行)をしていたそうですよ。


そして社殿には

木像の天智天皇像と、大友皇子像が安置されています。


天智天皇(てんじてんのう)ってどんな人だっけ??と言いますと

中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の事です。


中臣鎌足(なかとみのかまたり)と結託し

一連の政治的政変「大化の改新」を行った事で有名ですよね。


ちなみに中臣鎌足は藤原氏の祖であり

以後、平安時代の藤原家の栄華へと繋がるというワケです♪

※大化の改新に関しては折上稲荷神社の記事をご覧下さい。


松明殿稲荷神社

こちらが拝殿になります。


ちなみに、この松明殿稲荷神社にあります2つの像。

天智天皇(てんじてんのう)と大友皇子(おおとものおうじ)は

親子関係にあたります。


天智天皇がお父さんで、大友皇子が息子さんですね♪


しかし!

( ´Д`)大友皇子は息子でありながら、天皇にはなれなかった人なんですよ(汗)

どうしてでしょう?


その理由というのが・・・

飛鳥時代・672年に起こった古代日本、最初の大きな内乱である

「壬申の乱(じんしんのらん)」です!


松明殿稲荷神社

末社にあたる天満宮です。


では、壬申の乱が起こった原因を紐解いてみましょう♪


まずは、天智天皇という人ですけれど、一言でいうと

『カゲキな人』として知られています。


自分の邪魔になる人間は

兄であろうが、義理の父や叔父であろうが抹殺しちゃってる天皇なんです(汗)


さて、そんな天智天皇も歳をとり

後継者問題が起こるんですね。


まず、一番の候補に挙がったのが・・・

彼の弟である大海人皇子(おおあまのおうじ)


大化の改新を断行した後も、一緒に政治を行い、中臣鎌足からも信頼がありました。


当時、病に伏せていた天智天皇を見て

周りの誰しもが・・・

「天智天皇の後は、大海人皇子さんしかいないだろうな。」

なーんて言われてたんですね♪


しかーし、天智天皇も人の子。


やっぱり、自分の息子である大友皇子に

天皇をさせたくなったんですよね。


その事を大海人皇子も感じていたんです。

松明殿稲荷神社

額に刻まれた『松明殿稲荷神社』の文字。


ちなみに、邪魔な者なら誰でもヤっちゃう天智天皇。


ある日、弟の大海人皇子は天智天皇に呼ばれます。

天智天皇「なんかさ、・・・回りのヤツは俺の次はお前が天皇するんじゃね?って思ってるけど?」

大海人皇子「はい、そうみたいですね(汗)」

天智天皇「・・・で、やりたいの?天皇の座やろうか?」


ここで、よーく考えた大海人皇子。

次のような返事をします。


大海人皇子「・・・いえいえー!(汗)天皇の座は、息子さんに譲ってください!!」

(だって、ここで『天皇をやりたい』と言ったら俺殺されるもん。。)


このようなやり取りがあったと言われています。


そして「殺されるかも」と、感じた大海人皇子は

大海人皇「天智天皇のご病気が良くなるように私は吉野(奈良)に行って、お坊さんにでもなりますから~あはは(汗)」

と伝えたそうです。


・・・さて、そんな脅迫まがいな事もあり、順当に行けば

息子の大友皇子が天皇につく事になるはずでした。


しかーし!

( ´Д`)ここで、天智天皇はお亡くなりに。


そうなった途端、豹変したのは・・・

(・∀・)ノ吉野で僧になるはずだった大海人皇子!!


一気に挙兵しちゃうんです(汗)

そして、皇位継承を巡って

天智天皇の弟『大海人皇子』

VS

天智天皇の息子『大友皇子』

が戦う事となります。


これが672年に起こった『壬申の乱(じんしんのらん)』なのです。


松明殿稲荷神社

11月には『火焚祭』が行われます。


大海人皇子は、地方の豪族を引き連れ

大友皇子は都の豪族を引き連れ

日本を揺るがす大バトルが繰り広げられました!


ちなみに当時の日本の人口が600万人だったそうで

この戦いには両軍合わせ、6万人もの人が参加しました。


つまり・・・今で置き換えると・・・

なんと130万人もの人たちが日本で争ってるというワケですよ~(汗)


スゴすぎる。。


そして結果的に

なーんと天智天皇の弟『大海人皇子』が勝利し

天武天皇(てんむてんのう)となり

吉野へ都を移したというワケです。


ちなみに、戦に負けた大海人皇子はわずかの部下と一緒に自害したそうです。。

これにより天皇家に匹敵する程の強力な豪族が一掃され

天皇家に権威や権力が集中する事になります。


それが壬申の乱なんですね。


そんな松明殿稲荷神社の場所はコチラ↓


大きな地図で見る

最寄の交通案内

 京阪電車 京阪本線 七条駅(しちじょうえき)

1 ■壬申の乱

壬申の乱ってそうゆうことだったんですねー


いつの世も権力争いはドロドロしてますね…

ほたてこはくさん 2011-09-28 08:03:34

2 ■Re:壬申の乱

>ほたてこはくさん
現代でも、政治生命だったり社会生命だったり・・・各々の乱が各所でおこっているかも知れませんね。

京子 2011-09-28 15:03:51

3 ■松明殿

こんにちは 
お邪魔した足跡を残して起きます。
江戸時代に書かれた旅のガイドブックを頼りに、京都の写真を写しています。「七条河原」の項を見つけ、出向きましたが「河原」となれば処刑場になってしまい、はたと困っていたところ、後ろに「松明殿」が付いていたので、写真に文うぃ添えてブログにアップできそうです。 また、お邪魔します。 

SWP40+さん 2013-10-16 13:31:17

4 ■文言の訂正

すみません。 直前のコメントにタイプミスがありました。

2行目:起きます⇒おきます
5行目:文うぃ⇒文を

よろしくです。

SWP40+さん 2013-10-16 13:57:10

5 ■Re:松明殿

>SWP40+さん
江戸時代に書かれた古地図を見ながら観光って、素敵ですね★その建物のスケールの大きさなんかを想像しながら・・(o^-')b絶対楽しい。
松明殿稲荷神社の写真もアップされたらまた教えてくださいねっ

京子 2013-10-17 00:24:32

6 ■京子さま

松明殿へは、出来るだけ早く訪ねようと思います。 江戸期のガイドブックの一冊に、七条河原で松明の準備をしている絵がありますので、松明殿と七条河原がつながりそうです。 Upできたらまたお邪魔します。

SWP40+さん 2013-10-17 21:25:27

7 ■Re:京子さま

>SWP40+さん
(o^-')b了解しました!楽しみに待ってます。

京子 2013-10-18 01:52:50

8 ■七条河原 松明殿をアップしました

今晩は。 七条河原の写真構図を練り直す予定です。 取り急ぎ、お知らせまで。

SWP40+さん 2013-10-23 22:41:25

9 ■Re:七条河原 松明殿をアップしました

>SWP40+さん
早々のお知らせありがとうございます(o^-')b
早速、お邪魔させて頂きました♪

橋の上の人だかりが何かな~(?_?
と目を凝らしてみたら御神輿を渡御している場面が描かれているんですね~

京子 2013-10-24 00:14:39

10 ■Re:Re:七条河原 松明殿をアップしました

訪問いただき、ありがとうございます。 このシリーズは、もう少し先まで続ける予定です。 気が向いたら覗いてください。 綺麗な夜明けでありますように。 良い一日になりますように。

SWP40+さん 2013-10-24 01:36:50


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