こんにちは京子です。
さて、本日ご紹介する神社は・・・
松明殿稲荷神社(たいまつでんいなりじんじゃ)です。
松明殿稲荷神社は、伏見稲荷大社の境外摂社であり田中社とも言います。
創建は平安時代。948年に建てられました。
名前の由来は?と言いますと
956年に炬明殿(たいまつでん)の名前を天皇より賜たそうです。
※当初は現在地よりも東に800メートルほどの場所にあり。その後、転移を繰り返し、江戸時代に現在地に移されたそうです。
ちなみに、江戸時代に作られた
『都名所図会(みやこめいしょずえ・ガイドブックのようなもの)』によると
伏見稲荷大社で行われた、稲荷祭の時に
松明殿稲荷神社の大勢の氏子たちが松明(たいまつ)を灯し
神輿(みこし)を七条河原で迎えていた事から
『松明殿』と呼ばれるようになったとも記されているそうです。
こちらは
江戸時代中期、京都の僧である養阿(ようあ)が寄進した手洗と井戸。
彼は木食(もくしき)上人とも呼ばれ
米穀などの五穀を断ち、木の実を生のままで食べる
修行(苦行)をしていたそうですよ。
そして社殿には
木像の天智天皇像と、大友皇子像が安置されています。
天智天皇(てんじてんのう)ってどんな人だっけ??と言いますと
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の事です。
中臣鎌足(なかとみのかまたり)と結託し
一連の政治的政変「大化の改新」を行った事で有名ですよね。
ちなみに中臣鎌足は藤原氏の祖であり
以後、平安時代の藤原家の栄華へと繋がるというワケです♪
※大化の改新に関しては折上稲荷神社の記事をご覧下さい。
こちらが拝殿になります。
ちなみに、この松明殿稲荷神社にあります2つの像。
天智天皇(てんじてんのう)と大友皇子(おおとものおうじ)は
親子関係にあたります。
天智天皇がお父さんで、大友皇子が息子さんですね♪
しかし!
( ´Д`)大友皇子は息子でありながら、天皇にはなれなかった人なんですよ(汗)
どうしてでしょう?
その理由というのが・・・
飛鳥時代・672年に起こった古代日本、最初の大きな内乱である
「壬申の乱(じんしんのらん)」です!
末社にあたる天満宮です。
では、壬申の乱が起こった原因を紐解いてみましょう♪
まずは、天智天皇という人ですけれど、一言でいうと
『カゲキな人』として知られています。
自分の邪魔になる人間は
兄であろうが、義理の父や叔父であろうが抹殺しちゃってる天皇なんです(汗)
さて、そんな天智天皇も歳をとり
後継者問題が起こるんですね。
まず、一番の候補に挙がったのが・・・
彼の弟である大海人皇子(おおあまのおうじ)
大化の改新を断行した後も、一緒に政治を行い、中臣鎌足からも信頼がありました。
当時、病に伏せていた天智天皇を見て
周りの誰しもが・・・
「天智天皇の後は、大海人皇子さんしかいないだろうな。」
なーんて言われてたんですね♪
しかーし、天智天皇も人の子。
やっぱり、自分の息子である大友皇子に
天皇をさせたくなったんですよね。
その事を大海人皇子も感じていたんです。
額に刻まれた『松明殿稲荷神社』の文字。
ちなみに、邪魔な者なら誰でもヤっちゃう天智天皇。
ある日、弟の大海人皇子は天智天皇に呼ばれます。
天智天皇「なんかさ、・・・回りのヤツは俺の次はお前が天皇するんじゃね?って思ってるけど?」
大海人皇子「はい、そうみたいですね(汗)」
天智天皇「・・・で、やりたいの?天皇の座やろうか?」
ここで、よーく考えた大海人皇子。
次のような返事をします。
大海人皇子「・・・いえいえー!(汗)天皇の座は、息子さんに譲ってください!!」
(だって、ここで『天皇をやりたい』と言ったら俺殺されるもん。。)
このようなやり取りがあったと言われています。
そして「殺されるかも」と、感じた大海人皇子は
大海人皇「天智天皇のご病気が良くなるように私は吉野(奈良)に行って、お坊さんにでもなりますから~あはは(汗)」
と伝えたそうです。
・・・さて、そんな脅迫まがいな事もあり、順当に行けば
息子の大友皇子が天皇につく事になるはずでした。
しかーし!
( ´Д`)ここで、天智天皇はお亡くなりに。
そうなった途端、豹変したのは・・・
(・∀・)ノ吉野で僧になるはずだった大海人皇子!!
一気に挙兵しちゃうんです(汗)
そして、皇位継承を巡って
天智天皇の弟『大海人皇子』
VS
天智天皇の息子『大友皇子』
が戦う事となります。
これが672年に起こった『壬申の乱(じんしんのらん)』なのです。
11月には『火焚祭』が行われます。
大海人皇子は、地方の豪族を引き連れ
大友皇子は都の豪族を引き連れ
日本を揺るがす大バトルが繰り広げられました!
ちなみに当時の日本の人口が600万人だったそうで
この戦いには両軍合わせ、6万人もの人が参加しました。
つまり・・・今で置き換えると・・・
なんと130万人もの人たちが日本で争ってるというワケですよ~(汗)
スゴすぎる。。
そして結果的に
なーんと天智天皇の弟『大海人皇子』が勝利し
天武天皇(てんむてんのう)となり
吉野へ都を移したというワケです。
ちなみに、戦に負けた大海人皇子はわずかの部下と一緒に自害したそうです。。
これにより天皇家に匹敵する程の強力な豪族が一掃され
天皇家に権威や権力が集中する事になります。
それが壬申の乱なんですね。
そんな松明殿稲荷神社の場所はコチラ↓
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