2011-05-16 | |
テーマ:神社 |
関連:車折神社 / 三船祭(車折神社) / 重陽祭(車折神社) / 万灯祭(車折神社) / |
車折神社 その2
こんにちは京子です
さて、本日ご紹介する神社は
芸能神社とも呼ばれる
車折神社(くるまざきじんじゃ)です。
去年は、スターダムな局面をご紹介しましたけれど
今年はもう少し掘り下げてご紹介したいと思います。
以前の車折神社の写真から始まった
今回の車折神社をお楽しみ下さいな!!
石碑です。
このとてもインパクトの強い「車折」という名前がついた由来には面白いエピソードがあるんです。
それは、
後嵯峨天皇が嵐山の大堰川(桂川)に遊びに来ていた時、
この社前でなんと
牛車の轅(ながえ)が折れたので「車折大明神」という称号が送られ
「車折神社」という名前になったんだそうですよ。
轅とは、牛車や馬車などの前方に長く突き出している2本の棒を言います。
あの牛や馬を左右から挟んでる棒の事を言うみたいですね♪
車を折った大明神って面白いネーミングセンスですよね。
この奥に拝殿があるのですが、直進出来ないので周りこみま~す
桜餅が有名なお店があったんだそうですよ。
現在は人力車を引くお兄さんや、観光客の方で活気が溢れている嵐山で営業をされています。
新緑がとても綺麗ですね。
こちらは、拝殿です。
昨年訪れたときは、時期がまだ2月ということもあり
参道にツツジが咲く姿を拝見出来ませんでしたけれど
今は5月ということもあり満開のツツジを期待して行ってきましたよ。
去年に比べて暖かくなるのが遅かったせいか、
見ごろはもう少し先のようでした。
去年はなんだろ~で終わっていた京子ちゃん。
今年は違います♪
上で牛車の轅が折れたお話を取り上げましたよね。
それに驚いた後嵯峨天皇
門前右側にあった石を「正一位車折大明神」と呼んだんですね。
何故、右の石を呼んだのか?
それは、昔は右側にいる人が位が高かったからです。
これは京都のひな祭でもみられますよね。
つまり、先にご紹介した「車折大明神」は石に与えたんです。
それも、「正一位」の称号とともに
それ故に、石に対する信仰が生まれ立砂も石をモチーフに作られたというわけですね。
六波羅蜜寺では石に願い事が書かれていましたけれど、
こちらの石にはお礼の言葉を書かれているんです。
何故、こうなっているのかといいますと。
本殿もしくは郵送で神石を授かります。
両手で挟んで願いごとをした後
(郵送の方は、屋外で京都を向いて念じて下さい。)
毎日持ち歩くんだそうです。
そして、願い事が叶ったら石を拾ってきて
その石を洗い清めお礼の言葉を書いて写真の場所に納めます。
あれ?神石はどうするの京子ちゃん
神石は神石返納箱という専用のボックスがあるのでそちらに納めるだそうですよ。
こちらは去年よりもさらに進んで鳥居を潜ってとった
芸能神社の拝殿になります。
ご覧の様にシールやプリクラなどた~~~~~くさん貼られていましたよ。
芸能神社すぐ横にある芸能道具冢社
道具とあるので使用した?する?道具などを納めるのでしょうか♪
滄海神社(弁天神社)
こちらは、近くにあった天龍寺の末寺が廃寺になる際に
車折神社に移されたんだそうですよ。
本来は、インドの神「弁才天」だったそうなんですけれど、
明治時代の宗教政策・・・つまり神仏習合により、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が祭神になったそうです。
小唄堀派の祖霊社
小唄とは、いわゆる邦楽の一種なんです。
その家元にも流派があり、多数の流派が誕生する最初となったのが「堀派」と呼ばれる流派なんだそうです。
そして、お参りの仕方も独特で歌をとなえるそうなんです。
その歌の歌詞が3番まで横に書かれていました♪
堀派のひとが読んだ石碑もありましたよ。
もう終わっちゃいましたけれど、
毎年、5月の第3日曜日は、三船祭が行われ
嵐山の大堰川に20数隻もの船が浮かび平安時代の船遊びが再現されるようです♪
今年は残念ながら葵祭と重なってしまい見れませんでしたけれど、
来年は見てみたいと思います♪
また、6/30日には、茅の輪くぐりが行われているので良かったら訪れてみて下さいね。
茅の輪くぐりの様子は、夏越の大祓(上賀茂神社)や祇園祭 疫神社夏越祭(八坂神社)でご紹介してるのでよかったらどうぞ~
そんな、石に縁があり積み上げられた石の数を見るとご利益は言わずもがなな車折神社の場所はコチラです。
大きな地図で見る最寄の交通案内
市バス 11系統 車折神社前(くるまざきじんじゃまえ)
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