メモ2011-01-24
テーマ:神社

二葉姫稲荷神社

こんにちは京子です~っ

さて、本日は上賀茂神社のお隣にあります神社っ。

二葉姫稲荷神社の入り口

二葉姫稲荷神社(ふたばひめいなりじんじゃ)です!


上賀茂神社の「賀茂曲水の宴」が行われる渉渓園(しょうけいえん)から

歩いてすぐのところに見えるのが

二葉姫稲荷神社の鳥居

こちらの入り口ですね~♪

この辺りは、傾斜もあり山の中をだんだんと

上がっていく感じになっています。

二葉姫稲荷神社の鳥居

さて、こちらの二葉姫稲荷神社は境内はそれほど広くないんですけれど

なんと言っても・・・

末社がぎっしりと肩を並べるようにあるんですっ

二葉姫稲荷神社の御影龍神

末社のひとつ御影龍神(みかげりゅうじん)

二葉姫稲荷神社の天之斑駒神社

こちらも末社の天之斑駒神社(あめのふちこま)


さて、こちらの二葉姫稲荷神社の出来たきっかけをご紹介しますと

この場所には元々、

上賀茂神社の摂社(せっしゃ)である片山御子神社(かたやまみこじんじゃ)の神宮寺がありました。


うーん?

ちょっと分かりにくいと思いますので、ここでちょっぴりご丁寧に説明させていただきます。

「摂社」っていうのはその神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社の事ですよね。ちなみに末社はその下になります。


そして、神宮寺?というのは

神社に付属して建てられた寺の事なんですね。

つまり、片山御子神社に付属して建てられた神宮寺があったワケです。


ちなみに神社とお寺が一緒になっているという事は

神仏習合(しんぶつしゅうごう)ですよね♪

神様と仏様が一緒に祀られたり、神社の中に観音様があったり

お寺の中に鳥居があったりという状態ですよね~。

つまり、どちらの神様も共存出来きていたんですね。

この地にあった神宮寺もそういうワケだったのです

しかーしまだお話は終わりません(笑)

二葉姫稲荷神社の金毘羅宮

奥に見えるのも末社である金毘羅宮(こんぴらぐう)

二葉姫稲荷神社の光善稲荷

末社の光善稲荷(こうぜんいなり)


明治政府より出された

神仏分離令(しんとうぶんりれい)により

その片山御子神社に付属して建てられた神宮寺が

明治期に移転する事となるのですね。


以前のように神様と仏様が一緒にいられなくなっちゃったという事です。

なので、神宮寺もこの地から移動する事になったそうです。


一説にはこの神宮寺でも

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)があった?とも、言われています。


江戸時代は寺請制度(てらうけせいど)により

お寺を役所の代わりをさせ、幕府は民間を管理していましたけれど

明治政府より出された神仏分離令によって

神社から仏教的なものを払拭する事により

仏教を排斥したようなイメージを与えたとも言われ

そういった流れから一部の民衆は、お寺に対する不信感を持つようになり

お寺は「仏具の破壊」を始めたのです。それが廃仏毀釈なんですね

お坊さんはこうやって仏教から神道へと様変わりしようとしました


神宮寺でも、同じような理由であるかは不明ですが

明治期にこの地から神宮寺はなくなり

そして鎮守社(つまり土地を守護する神を祀った社)だけが残りました。

それが二葉姫稲荷神社なんですね。

二葉姫稲荷神社の本社

こちらが二葉姫稲荷神社の本社になります。

よーく見ると、狐の置物も飾ってありますね~っ


ちなみに、神宮寺が移転した際に

その地にあった大きな晴池(はれいけ)と呼ばれる大きな池があり、この池の石を鍬で叩くと雨が降ったと言われています。

この近くにある大田神社の「雨石(あめいし)」とは対のように呼ばれてたんですね。

しかし、その晴池も埋め立てられる事になってしまいます。


っと!ここで埋め立てられた事によって

困ったのが・・・この池にいた龍神様っ

これを伝える為に、龍神様は近所の人の枕元に立ったそうなんですね。


って事で、龍神様の怒りを納める為に作ったのが・・・

二葉姫稲荷神社の八嶋龍神

八嶋龍神(やしまりゅうじん)なんですねっ。

ちょうど、幕のところに鱗紋(うろこもん)があるのわかりますか??

この紋は龍の鱗をかたどっているんです。


ちなみに、この鱗紋は北条氏の家紋としても大変有名ですよね~!!


そんな二葉姫稲荷神社の場所はコチラ↓

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 市バス 4・46・67系統 上賀茂神社前(かみがもじんじゃまえ)


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