2011-01-06 | |
テーマ:カフェ・スイーツ |
二條若狭屋
こんにちは京子です
いやー、それにしても・・・
京都は寒い~っ!!
そんな寒空の中
今日も京都のホットな情報をお届けしたいと思います
本日ご紹介するのはっ
平安時代、宮中のおせち料理に由来する「はなびら餅」です
はなびら餅は、京都のお正月の和菓子の代名詞であり、正式名称は菱はなびらと言います。
それを食べにお伺いしたのが、こちら・・・
二條若狭屋(にじょうわかさや)です。
それにしてもどーですか!
(・∀・)ノこの老舗の雰囲気漂う建物~っ
それもそのはず
こちらの二條若狭屋の創業は大正6年。
「総本家若狭屋」から暖簾分けしスタートしたんですね。残念ながら、総本家若狭屋はもうすでに無いんですけどこの時、暖簾分けをしたお店は二條若狭屋以外にも「三條若狭屋」「七条若狭屋」があり、現在も京都で営業されています♪
では早速中へと入ってみましょー
1階、店内はテーブル席が3つ。座席数は12ほどでしょうか
予約すると2階の茶室でもいただけるそうですよ~!
お持ち帰りだけじゃなく、店内でも食べられるのが嬉しいですねっ。
さて、こちらの二條若狭屋をオープンした初代オーナーは
なかなかのアイデアマンだった方らしく
お菓子作り以外にも
画家を志した事もある、芸術家肌の人物であり
NHKラジオなどにもレギュラー出演していたというお話も
幅広い視野でオリジナルのお菓子も考案し、中でも近衛文麿(このえふみまろ)が首相だった頃、京都で園遊会が催され、初代が献上した丹波産の山芋を使った饅頭である「家喜芋(やきいも)」は、大変好評を得たという事です。現在も、家喜芋は看板メニューのひとつだそうですよ~っ。
ちなみに、店内にはいろいろ目につくものがいっぱいで
中でも一際、目を引いたのが
お菓子で出来た五重塔~
すんごーーーい
手先はあまり器用な方じゃない京子・・・
細やかな技術、巧みの技を目の当たりにして感動しておりますっ。
さて、本日の
京都でこの時期にしか味わえない
「はなびら餅」がっ・・・こちら
どどーーーん!!
(・∀・)ノはなびら餅&お抹茶のセットを注文しましたっ。
「はなびら餅」をよーく見てみると・・・
ゴボウがお餅の間に挟まっているのがわかりますか~!!!!
なんとも独特の形
お餅の中には、ゴボウと一緒に
白あんに白味噌を加えた「味噌あん(みそあん)」が
入っているんですね
珍しい組み合わせでありながら、伝統的な味わいは、まさに「はなびら餅でしか味わえない」と言っても過言ではないんです
まさに雅ですよ!
では、いっただきまーす!!
パクっ・・・
モグモグ
(・∀・)ノおいしーーーーーー!
お餅の部分はふっくらして、まさにモチモチした重量感のある歯ごたえ
白味噌のあんはこってり、まったりとした濃厚な深みのある味
二條若狭屋は創業から四代、90年以上に渡って営業を続けられています。
さて、はなびら餅が
何故このような不思議な形になったのでしょう
実はもともと、はなびら餅は平安時代に宮中で食べられていたおせちのひとつだったのです
え?どういう事?京子ちゃん???
・・・と、言いますと
新年に長寿を願う「歯固め儀式」というのが宮中で行われていました。
この行事は
餅の上に赤い菱餅を敷き
その上に猪肉や大根、鮎の塩漬け、瓜など
固いものを乗せ食べるというものだったんですね~
それが徐々に簡略化され「宮中雑煮」と呼ばれる餅の中に食べ物を入れるという形に変わっていきます。
簡略化の中で、鮎の代わりにゴボウ、雑煮の代わりに、白あんに白味噌を加えた「味噌あん」になりました。
その後、明治になり
京都の三千家(茶道流派)のひとつである裏千家(うらせんけ)が
はなびら餅を使う事を許され
初釜(新春の茶道の稽古始にあたる日)で使った事をきっかけに
全国の和菓子店に広がるようになったのです
ちなみに、この簡略化された、はなびら餅を作ったのは
室町時代より続く老舗「川端道喜(かわばたどうき)」だそうです
店内、カウンターに並べられた和菓子の数々。
二條若狭屋は京都市中京区にあり、二条城にも程近いです。
なるほど~
はなびら餅ひとつにも、ここまで歴史を感じる事が出来るんですね。
世界に誇る日本の和菓子って奥が深い~
そんな「はなびら餅」をいただきました二條若狭屋の場所はコチラ↓
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