メモ2010-12-28
テーマ:お寺
関連:泉涌寺 / 

泉涌寺 その2

こんにちは、京子です


さて、昨日の「泉涌寺 その1」に引き続きまして

ご紹介しきれなかったエリアを中心に

泉涌寺に関しましてレポートしたいと思います

山をバックに泉涌寺

ここで昨日のおさらいからしておきますとっ


まず、ポイント1

泉涌寺は皇室とゆかりのある御寺(みてら)と呼ばれています!」

では、どんな風にゆかりがあるのかと言いますと・・・


(・∀・)ノ歴代の天皇・皇后の御葬儀が行われていたお寺なんですね♪

つまり、皇室の菩提寺となっていました。

※1214年に四条天皇が崩御され、泉涌寺に葬られた事に始まり、その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇と江戸時代、後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の葬儀を泉涌寺では行っています。


続きまして、ポイント2

こちら泉涌寺の起源は、弘法大師「空海」の草庵(茶室)を結んだ事に始まります。

そして、泉涌寺と名を改め開山したのが・・・

月輪大師(がちりんだいし)とも呼ばれている、「俊じょう(草冠に仍)(しゅんじょう)」というお坊さんなのですね♪

そして、この泉涌寺は月輪山(つきのわやま)と呼ばれる山の山麓にあります。


ちなみに、彼は鎌倉時代前期の僧であり

後鳥羽上皇をはじめ天皇・公家・武家など多くの信者を得ていた名僧だったようですね


では、早速行ってみましょー

(・∀・)ノこちらでご紹介しきれない伽藍は「泉涌寺 その1」にアップしています。


泉涌寺の水屋形(みずやかた)

水屋形(みずやかた)

こちらは寛文期(1661~1672)に建築されたもので同じ境内にある浴室と同時期だそうです。


しかも

この泉涌寺の名前の起源は「この地に清水が湧き出た事」によるものだそうですけれど

なななーんと!

今でも、尽きることなく湧き出ているんですね。


さて、この左手に見えているものが・・・


泉涌寺の清少納言歌碑

清少納言歌碑です

平安時代の女流歌人であり枕草子の作者である「清少納言(せいしょうなごん)」

どうやら、彼女は宮中に仕えた後、晩年は尼となり、このあたり(東山の月輪)でひっそりと暮らしていたそうです。


どんな歌が書いてあるかというと

百人一首にも収録されている


「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」


朝にならなければ開かない関所。

鶏も鳴き声を真似て(朝だと騙して)開けようとしても

逢坂の関は開かないですよ!甘い甘い。


というような事ですね

この鶏の鳴き声を真似て扉を開けるというのは中国の故事にちなんだもので祇園祭の鉾のひとつである函谷鉾も、この故事からとったものなんですね。


では、いよいよ奥へと進んでいきます♪

泉涌寺の唐門

唐門ですね。

普段は閉ざされた門なのですけれど

この奥にあるのが・・


霊明殿(れいめいでん)なんですね。

そちらには四条天皇御尊像(木像)と位牌をはじめ

明治天皇・昭憲皇太后・大正天皇・貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后などの

御真影(ごしんえい・肖像画や写真の事ですね)や位牌があるそうですよ。

※1882年に霊明殿は炎上しますが、無事に明治天皇によって再建されました。


そして

次に京子が目指したのは


泉涌寺の月輪陵(つきのわみさぎ)

月輪陵(つきのわみさぎ)です。

月輪とは、泉涌寺を開山した月輪大師や、この地(山)を月輪と呼ぶ事から取られたのだと思います。


こちらは何なのかと申しますと

陵墓(りょうぼ)なのですね~

※陵墓とは宮内庁が管理する皇族の墓地の事です。


もちろん、気軽に

この門を開けてお参りしよ~!!!

・・・というワケには行きません


泉涌寺の月輪陵の手前

月輪陵の手前には数々の天皇の名が記されたモノが!


泉涌寺の菊花紋をかたどった手水鉢(ちょうずばち)

菊花紋をかたどった手水鉢(ちょうずばち)もありました。


月輪陵の中はちなみに

どうなっているの?と言いますと

石塔(せきとう)がいくつも並び

四条天皇をはじめ

後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓があります。


更にこの奥には

孝明天皇の後月輪東山陵

北に英照皇太后の後月輪東北陵まであるそうです。


つまり・・・


めちゃくちゃ沢山あるってコトです

広大な場所に沢山の石塔が並んでいるようでした。


境内には陶器がいたるところにありました。

二代目山川巌さんという方が泉涌寺で茶道陶器を創作されていたそうですよ。

泉涌寺の御座所(ござしょ)

そして、次にご紹介するのは・・・


御座所(ござしょ)です。

※この門の向こうに御座所があります。


ちなみに御座所とは

天皇や、皇族の方の居室となっていた場所という意味で明治天皇は、霊明殿の再建と併行し、京都御所内にある部屋の一部をこちらに移されたそうです。


そして

泉涌寺の門

こちらの門にも・・・

泉涌寺の菊花紋が記された提灯

菊花紋が記された提灯がありました。


門をくぐり

泉涌寺の本坊

本坊に上がって、廊下で繋がっている御座所へ進む事が出来るんですね

※京子が行った時はちょうど御座所が特別公開されていました。もし行かれる際は事前に確認される事をオススメします。


この本坊から御座所にある玉座の間や、皇族の間、女官の間へと繋がっていました~っ!


ちなみに、御座所は

両陛下はじめ、皇族方の御陵御参詣の際の

御休所として現在も使われているそうですよっ。


そして、中を歩くと見えてくるのが

泉涌寺の御座所庭園

(・∀・)ノ御座所庭園です。

こちらのお庭は昭和天皇が

泉涌寺の御陵参拝の際にご覧になられたそうで

「春ふけて 雨のそぼふるいけ水に かじかなくなり ここ泉涌寺

と詠まれたそうです


・・・と、いう事で

二夜に分けてご紹介させて頂きました泉涌寺


是非、「泉涌寺 その1」と併せてご覧下さい

そんな泉涌寺の場所はコチラ↓


大きな地図で見る

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 JR 奈良線 東福寺駅(とうふくじえき)
 京阪電車 京阪本線 東福寺駅(とうふくじえき)
 市バス 202・207・208系統 泉涌寺道(せんにゅうじみち)


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