メモ2010-12-02
テーマ:お寺

鹿王院

こんにちは、京子です


さてさて、今日は

室町幕府の三代目将軍「足利義満」です

彼にまつわるお寺・・・


鹿王院の入り口

鹿王院(ろくおういん)~っ。

こちら、鹿王院は隠れた紅葉の名所としても知られています♪


さて

足利義満と、どんな関わりが

このお寺にあるのかと言いますと

鹿王院のこま札

足利義満が24歳の時、寿命を延ばす事を祈って

この鹿王院が建てられたのです~

ちなみに、義満は50歳まで生きたわけですから当時としては長生き出来た方でしょうか

ちなみに、開山は義満の師である普明国師(春屋妙葩・しゅんおくみょうは)というお坊さんです~。彼と2人で立ち上げたのが鹿王院だったんですね。

※後に義満はお坊さんになっちゃいますから★


この鹿王院っていう名前はドコから来たの?と言いますと

廟(びょう)を建てようとして藪を切り開いたところ

その藪の中から白鹿(体の白い鹿)が出てきたのに由来するそうですよ。


(・∀・)ノでは、早速!

鹿王院の山門に掲げられている額を見てください♪

鹿王院の義満の直筆「覚雄山」

なんと義満の直筆です

「覚雄山」と立派な字で書かれていますね~。

※覚雄(かくゆう・かくおう)とは、お釈迦様の事だそうです。


では、この山門を入ると

境内にどんな紅葉が広がっているかと

言いますと・・・


鹿王院の紅葉のトンネル

(・∀・)ノ紅葉のトンネルーーーーーーっ

素晴らしすぎるじゃないですか。

えぇ、もう本当に…秋って素敵ですね。


この参道の隣には竹林もどーんと広がっているんですから尚更、感動的であります★


鹿王院の庫裡(くり)

そしてこちら、右手の白い庫裡(くり)から中へと上がりまーす!

鹿王院の客殿

こちらは客殿。

じつはここにも「鹿王院」と書かれた額がありまして

それも義満の直筆だそうですよ


(・∀・)ノではでは、ここで


何度も

義満!義満!と言っちゃってますし

何度も京子ブログで取り上げていますけれども

室町幕府三代目将軍「足利義満」についてもう一度

軽くおさらいしてみましょう


公家のトップである「太政大臣」という位と

武士のトップである「征夷大将軍」という位の

2つを授かり


明(中国)の皇帝からも

「君は日本の国王だ!」と言われた超スーパーエリートです。


天皇に一番近づいた人であったと言っても過言ではないですね。


鹿王院の本堂

客殿から舎利殿へ渡っている廊下の中間にこちらの本堂があります。こちらの中には義満の像が祀られています。


ちなみに、もっーと他にも書いちゃうとこんな事をしています。

金閣寺を始めとした「北山文化」の創設

・明との「勘合貿易(朝貢)」

・南北朝の統一


そして、なんと言っても

「室町幕府」と名付けられたのは義満の邸宅が由来ですもん。

(・∀・)ノやっぱ義満はミスター室町幕府って事!!


義満の時に室町幕府の「体制」が出来上がったと言っても

過言ではありません。

室町幕府の大まかな政治システムをご説明します。


「管領(かんれい)」

将軍を補佐する役職であり、この仕事に付けるのは

斯波(しば)氏・細川氏・畠山(はたけやま)氏の三家で

この三家を三管領(さんかんれい)と言います。


「侍所(さむらいどころ)」

これは京都の警備を担当する役職ですね。

これも家が決まっていまして

山名氏(やまなし)・赤松氏(あかまつし)

一色氏(いっしきし)・京極氏(きょうごくし)の四家から

選ばれます。これらは四職と呼ばれています。


これら三家、四職はもちろん源氏の一族である事も重要です。


鹿王院の舎利殿

こちらは舎利殿ですね。源実朝により、宋(中国)から伝来した仏牙利舎(ぶつげしゃり)が宝塔に安置され祀られています。


(・∀・)ノそんな義満は九州を平定しちゃいます。

あれれ?じゃぁ

室町幕府の頃、九州って誰かが支配してたの??


と、言いますと・・・

懐良親王(かねよししんのう)という人なのですね。

彼は後醍醐天皇の息子!


つまり、南朝の人であり

足利家とは因縁の関係であると言えます!


勘合貿易をしたかった義満ですけれども

その前にすでに懐良親王に、明と貿易を開始されていました。


鹿王院のそろそろ紅葉も見納め

さて、今日の一枚はコチラっ。そろそろ紅葉も見納めでしょうか・・・!

鹿王院の三社大明神

ちなみに、山門から紅葉のトンネルを抜け左に行くと「三社大明神」があります。この隣には稲荷社もありました~っ


つまり明からすれば

日本国王は懐良親王だと思っていたんですね。


そこに義満が後から割り込んで来た為に

明からすると

・・・どうなってんの??

どっちが本当の日本の国王なんだい

となるわけです。

という事でこれには義満も非常に頭を悩ませ義満が九州を平定した際もしばらくは「日本国王良懐」(懐良親王は日本国王良懐として明との貿易を行っていました)という名義で明との貿易(朝貢)を行っていたそうですよ~。

※後に明からも日本の国王と認められました。


ちなみに!

義満のもっ~とスゴいのは


朝廷も武士も支配した。

明からも日本の国王と認められた。


ってなると・・・後はこれしかなーい!!

という事で

なんと出家しちゃいます(笑)

義満の出家は、残る寺社勢力を支配する為に地位を

得ようとした為であると考えられています。


どんだけアグレッシブなんだ・・・義満って。

死後、朝廷は義満に対して

「鹿苑院太上天皇(ろくおんいんだいじょうてんのう)」の称号を送られる事が決定しました。

そうです、本来であれば天皇になれてたわけです。


太上天皇とは、つまり・・・退位した天皇の事です。


ま、しかし義満が出来なかった事と言えば


・・・息子との仲が悪かったという事でしょうか。

息子によって、朝廷から送られた太上天皇の称号は拒否されちゃいますから(笑)


すんなり貰っておけば

息子だって天皇になれた可能性があるのに。

ある意味じゃ天皇家を救ったとも言えます。


そんな義満が長生きを願って建てた

鹿王院の場所はコチラ↓


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