メモ2010-08-20
テーマ:神社

離宮八幡宮

コンニチハです(ノ´▽`)ノ


今回の神社は、

油の神様として親しまれている


離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)


離宮八幡宮の石碑

へと、行ってきました

油の神様ってなかなかレアなんじゃぁ~ないでしょうか


そういえば、高校生時代

あぶらとり紙で無我夢中に取っていた記憶があります

物理の先生から、そんなに取ると将来肌かさかさになるよ(。>0<。)

と言われてから一気にスパッとやめた記憶があります。


離宮八幡宮の説明書き

油は大切にしましょうね

っと、そんなお話じゃないんですよ~(汗

この、「離宮八幡宮」

名前からもう皆さんもご存知のように八幡神を祀り

京都で八幡宮と言えば、

三宅八幡宮」や

「石清水八幡宮」を思い浮かべますよね


実はこの離宮八幡宮は、

元祖?ともいうべき「石清水八幡宮」だったのですです

では、な~ぜ?元・石清水八幡宮だったの


離宮八幡宮の惣門(正門)

こちらは惣門(正門)です。

おや?おや?お寺?っぽい門構えです

でも、注連縄が蒔かれているということはズバリ

神社であることの証明ですよね

この惣門と東門だけが禁門の変の兵火を免れ現存しているそうでーす

ちなみに、2つとも「大山崎町指定文化財」ですっ


離宮八幡宮のかしき石

こちらも、同じく大山崎町の指定文化財で

「かしき石」

と呼ばれ南に流れる淀川の河岸に「相応寺」というお寺があったようで

その相応寺の心礎なんだそうでーす

なっなぜここに


離宮八幡宮の本殿

本殿


離宮八幡宮の石清水

そして、お待たせしましたのはコチラ

ずばり、「石清水」ですっ


平安時代初期

まだまだ都の治安は悪く

清和天皇は頭を悩ませていました・・・(θωθ)ンムムム

そんな時に、

「太陽がその身に宿り、神様のお告げを聞く」

という夢を見ます。

神様:「とりあえず、九州にある宇佐八幡より、八幡神を京都へ持ってこい。」っと

清和天皇:「Σ(~∀~||;)ナントッ」

・・・

・・

清和天皇:「行教!宇佐八幡宮行って来て!!」

と、奈良:大安寺の僧 行教を遣わします


その帰り、行教は「山崎の津」と呼ばれる

嵯峨天皇の離宮跡に来た時

霊光を見ます


京子だと夜の山に光る物体を見たら倒れそうです

でも、行教は違いました

「あれはきっと、お導きに違いない!」

と、そこを掘ってみます


すると、岩間に清水が湧き出したので

ここにご神体を鎮座して八幡宮を創建したそうなんです


中を覗いてみると今でも水で潤ってましたっ

後に、対岸の男山にも分祀されて以来、そちらが現在でも親しまれている

「石清水八幡宮」と称されてるんですってー

知らなかったですΣ(・ω・ノ)ノ

して、「石清水八幡宮」の名前がなくなったから何て呼べば

山崎の人達は悩みます


人々:「あっこの地って嵯峨天皇の離宮跡だから、離宮八幡宮にしようそうしようオォー

と決まったとかなんとかо(ж>▽<)y


そういえば、嵯峨天皇って

兄の平城天皇(へいぜいてんのう)が

「わし病気になってしまったね。早良親王

や、伊予親王の亡霊だね。ヤバイよね。譲位するよね。」

と位を譲るも、平城上皇の復権を企んだ妾(めかけ)こと藤原薬子(ふじわらのくすこ)が誘惑します

薬子:「あんた最高よあんたが最高よあんたが色々した制度を嵯峨天皇が駄目にしてるのよ


と兄の藤原仲成(ふじわらのなかなり)と共に大いに助長し乱がおこりますよね

閑話休題


離宮八幡宮の鳥居

こうやってみると、やっぱり神社です


離宮八幡宮の多宝塔礎石

こちらが、多宝塔礎石

以外とボコボコしているものなのですねー


離宮八幡宮の油祖像

はい またまたお待たせしました

こちらも、ちょぉ~必見です

この像の下には「油祖像」と書かれていまして

実はこの離宮八幡宮

江戸時代、徳川家光(三代将軍)の保護を受け

「東の日光東照宮」に対して

「西の日光」と言われるほど、広大な敷地と多くの社殿があったんですって

ひょぉ~ヽ((◎д◎ ))ゝ


何故、そんなにも栄えたかというと

冒頭でもご紹介しました「あ・ぶ・ら」

京子の肌についてるような「脂」ではありません


離宮八幡宮のお神酒ならぬ、お神油

社殿にもお神酒ならぬ、お神油でしょうか?

もともと、大山崎は奈良時代から交通の要所として栄えていた”山崎の津”

要するに淀川があったので港町?と言ったところなのでしょうか?

その中に、発明家がいました

荏胡麻(えごま)と呼ばれる植物から、油を絞りとる道具を考え出した人がいたそうなんです

噂では、離宮八幡宮の神官だったとも

その油は、対岸の石清水八幡宮の灯火に用いられ

次第に有名になって行き、都の官舎や公家、一般の人々の燈油(灯油)まで生産を拡大し

製造・販売の独占権を得て売り歩いたそうなんです

離宮八幡宮の絵馬

あぶら~あぶらはどうかね~?と絵馬から伝わってきますo(^-^)o


室町時代には、油 = 山崎産といわれるくらい普及したそうで、

電気のなかった時代に、油はとても貴重だったんですね


離宮八幡宮の製油発祥の地

製油発祥の地です。


離宮八幡宮の油祖

油商はこの旗印を掲げて商いをおこない

離宮八幡宮の許状無しには油を扱えなかったそうなんで~す

朝廷により「油祖」の名を賜った離宮八幡宮凄すぎます


でも、栄華はそう長くは続きませんよね(T▽T;)

織田信長の「楽市楽座」の政策や

禁門の変

東海道本線の開通により、社地の大半がその用地となり

現在の規模になったんだそうです

鉄道が通ってもまだ土地があるなんて、

とぉ~っても広大だったんですねヽ(*’0’*)ツ


そんな、大阪府と京都府の府境が通っている

JR大山崎駅より下車徒歩1分の離宮八幡宮の場所はコチラです。


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