![]() | 2010-08-20 |
テーマ:神社 |
離宮八幡宮
コンニチハです(ノ´▽`)ノ
今回の神社は、
油の神様
として親しまれている
離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)
![離宮八幡宮の石碑](2010/08/20/01/2010-08-20-1.jpg)
へと、行ってきました
油の神様ってなかなかレアなんじゃぁ~ないでしょうか
そういえば、高校生時代に
あぶらとり紙で無我夢中に取っていた記憶があります
物理の先生から、そんなに取ると将来肌かさかさになるよ(。>0<。)
と言われてから一気にスパッとやめた記憶があります。
![離宮八幡宮の説明書き](2010/08/20/01/2010-08-20-2.jpg)
油は大切にしましょうね
っと、そんなお話じゃないんですよ~(汗
この、「離宮八幡宮」
名前からもう皆さんもご存知のように八幡神を祀り
京都で八幡宮と言えば、
「三宅八幡宮」や
「石清水八幡宮」を思い浮かべますよね
実はこの離宮八幡宮は、
元祖?ともいうべき「石清水八幡宮」だったのですです
では、な~ぜ?元・石清水八幡宮だったの
![離宮八幡宮の惣門(正門)](2010/08/20/01/2010-08-20-3.jpg)
こちらは惣門(正門)です。
おや?おや?お寺?っぽい門構えです
でも、注連縄が蒔かれているということはズバリ
神社であることの証明ですよね
この惣門と東門だけが禁門の変の兵火を免れ現存しているそうでーす
ちなみに、2つとも「大山崎町指定文化財」ですっ
![離宮八幡宮のかしき石](2010/08/20/01/2010-08-20-4.jpg)
こちらも、同じく大山崎町の指定文化財で
「かしき石」
と呼ばれ南に流れる淀川の河岸に「相応寺」というお寺があったようで
その相応寺の心礎なんだそうでーす
なっなぜここに
![離宮八幡宮の本殿](2010/08/20/01/2010-08-20-5.jpg)
本殿
![離宮八幡宮の石清水](2010/08/20/01/2010-08-20-6.jpg)
そして、お待たせしましたのはコチラ
ずばり、「石清水」ですっ
平安時代初期
まだまだ都の治安は悪く
清和天皇は頭を悩ませていました・・・(θωθ)ンムムム
そんな時に、
「太陽がその身に宿り、神様のお告げを聞く」
という夢を見ます。
神様:「とりあえず、九州にある宇佐八幡より、八幡神を京都へ持ってこい。」っと
清和天皇:「Σ(~∀~||;)ナントッ」
・・・
・・
・
清和天皇:「行教!宇佐八幡宮行って来て!!」
と、奈良:大安寺の僧 行教を遣わします
その帰り、行教は「山崎の津」と呼ばれる
嵯峨天皇の離宮跡に来た時
霊光を見ます
京子だと夜の山に光る物体を見たら倒れそうです
でも、行教は違いました
「あれはきっと、お導きに違いない!」
と、そこを掘ってみます
すると、岩間に清水が湧き出したので
ここにご神体を鎮座して八幡宮を創建したそうなんです
中を覗いてみると今でも水で潤ってましたっ
後に、対岸の男山にも分祀されて以来、そちらが現在でも親しまれている
「石清水八幡宮」と称されてるんですってー
知らなかったですΣ(・ω・ノ)ノ
して、「石清水八幡宮」の名前がなくなったから何て呼べばと
山崎の人達は悩みます
人々:「あっこの地って嵯峨天皇の離宮跡だから、離宮八幡宮にしよう
そうしよう
オォー
」
と決まったとかなんとかо(ж>▽<)y
そういえば、嵯峨天皇って
兄の平城天皇(へいぜいてんのう)が
「わし病気になってしまったね。早良親王
や、伊予親王の亡霊だね。ヤバイよね。譲位するよね。」
と位を譲るも、平城上皇の復権を企んだ妾(めかけ)こと藤原薬子(ふじわらのくすこ)が誘惑します
薬子:「あんた最高よあんたが最高よ
あんたが色々した制度を嵯峨天皇が駄目にしてるのよ
」
と兄の藤原仲成(ふじわらのなかなり)と共に大いに助長し乱がおこりますよね
閑話休題
![離宮八幡宮の鳥居](2010/08/20/01/2010-08-20-7.jpg)
こうやってみると、やっぱり神社です
![離宮八幡宮の多宝塔礎石](2010/08/20/01/2010-08-20-8.jpg)
こちらが、多宝塔礎石
以外とボコボコしているものなのですねー
![離宮八幡宮の油祖像](2010/08/20/01/2010-08-20-9.jpg)
はい またまたお待たせしました
こちらも、ちょぉ~必見です
この像の下には「油祖像」と書かれていまして
実はこの離宮八幡宮
江戸時代、徳川家光(三代将軍)の保護を受け
「東の日光東照宮」に対して
「西の日光」と言われるほど、広大な敷地と多くの社殿があったんですって
ひょぉ~ヽ((◎д◎ ))ゝ
何故、そんなにも栄えたかというと
冒頭でもご紹介しました「あ・ぶ・ら」
京子の肌についてるような「脂」ではありません
![離宮八幡宮のお神酒ならぬ、お神油](2010/08/20/01/2010-08-20-10.jpg)
社殿にもお神酒ならぬ、お神油でしょうか?
もともと、大山崎は奈良時代から交通の要所として栄えていた”山崎の津”
要するに淀川があったので港町?と言ったところなのでしょうか?
その中に、発明家がいました
荏胡麻(えごま)と呼ばれる植物から、油を絞りとる道具を考え出した人がいたそうなんです
噂では、離宮八幡宮の神官だったとも
その油は、対岸の石清水八幡宮の灯火に用いられ
次第に有名になって行き、都の官舎や公家、一般の人々の燈油(灯油)まで生産を拡大し
製造・販売の独占権を得て売り歩いたそうなんです
![離宮八幡宮の絵馬](2010/08/20/01/2010-08-20-11.jpg)
あぶら~あぶらはどうかね~?と絵馬から伝わってきますo(^-^)o
室町時代には、油 = 山崎産といわれるくらい普及したそうで、
電気のなかった時代に、油はとても貴重だったんですね
![離宮八幡宮の製油発祥の地](2010/08/20/01/2010-08-20-12.jpg)
製油発祥の地です。
![離宮八幡宮の油祖](2010/08/20/01/2010-08-20-13.jpg)
油商はこの旗印を掲げて商いをおこない
離宮八幡宮の許状無しには油を扱えなかったそうなんで~す
朝廷により「油祖」の名を賜った離宮八幡宮凄すぎます
でも、栄華はそう長くは続きませんよね(T▽T;)
織田信長の「楽市楽座」の政策や
禁門の変
東海道本線の開通により、社地の大半がその用地となり
現在の規模になったんだそうです
鉄道が通ってもまだ土地があるなんて、
とぉ~っても広大だったんですねヽ(*’0’*)ツ
そんな、大阪府と京都府の府境が通っている
JR大山崎駅より下車徒歩1分の離宮八幡宮の場所はコチラです。
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